ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/10/26/

第15回 「ものを書く」喜び

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わたしは、「ものを書く」ことに心から喜びを感じる。人生の長い道のりを楽しく歩んで来られたのも、物を書くことに生きがいを感じてこられたからだ。

幼いころ、よく戸棚の下の方に落書きしたものだ。誰にも見られないようにこっそり、裏側に書いていた。今でも覚えている。あのずらっと並んだ絵や文字のようなもの。子どものわたしには確かにすばらしいストーリだったのであろう。

1991年サンパウロにて。左後ろにいるのが父

アルファベットを教えてくれたのは父だった。小学校に上がる前は、自分の名前と幾つかの単語を書くのが日課だった。

文章が書けるようになると友だちや田舎のいとこに手紙を書くのが楽しみだった。返事があろうがなかろうが気にせずに書いていた。今でもわたしは返信を期待せずに手紙を出したりメールを送信したりしている。

小学校のときに詩を書き始めた。初めての詩は「わたしは何処へ」という題ではあったが、大して意味のあるものではなかった。高校生になると、かなりシリアスなテーマもとりあげ、コンテストで選ばれたこともある。

一人で手作り新聞を発行したことも思い出す。新聞の名前は「小さな引き出し」。無我夢中で、論説からニュース、広告と漫画まですべてを一人でこなした。それから大分たって、教師になり生徒たちに自分のしたとおりの方法を指導してみたら、教え子の中には、自作の新聞を友だちや近所の人に売れる程上手に作った生徒まで現れた。

高校に進むと、同級生に頼まれてたくさんの詩や手紙を書くゴーストライターになった。あて先は彼女たちのボーイフレンド。思い出してみると、よくも知らない男の子にあんな「甘い蜜のような」言葉で書いたものだと我ながらあきれる。

大学の四年間は空白期間。課題のレポートと専攻論文のほかには何にも書けなかった。

日本に留学中、ブラジルの留学生新聞にしばしば投稿した。

ブラジルに帰国後、日系新聞や日系雑誌に日本の文化についていろいろと寄稿した。

ポルトガル語とブラジル文学の教師として30年間、毎日のように授業に使うテキストを作成したり、文化祭の劇の脚本や学校新聞作りにも取り組んだ。

1991年には念願の一冊目の本が出版された。題名は 『Sonhos Bloqueados』。おかげ様で大好評だった。この小説がきっかけとなり、いろいろな所を訪れ、大勢の人に出会うことができた。

その後、我が子のような作品が三冊世の中に出た。一冊ずつ出版する度に、あちこちから、「日本語でも書いてください」という依頼がきた。

いつか日本語で書いてみたいという気持はあったが、自信も勇気もなかった。2005年に日本へ旅行してから、すべてが変わった。

33年前に出会った友人と奇跡的に再会した。その友人と文通をするためには、日本語で書くしかなかった。文通を続けていくうちに、ますます、日本語に興味を持つようになり、日本語で書くことが楽しくなり、やがて日本語で書く勇気が湧いてきた。旧友とのメール交換が始まったことにより、わたしの日本語での大冒険も始まった。しかし、日本語変換ソフトがなければ、わたしの日本語の上達は亀の歩みのようだっただろう。

1993年サンパウロにて

先日、他の友人からとても興味深い日本語の本をプレゼントされた。それは「擬音語・擬態語」辞典で、今、それにハマッテいる。日本語独特のオノマトペに関心をもって、詩を書いてみた。

はじめてのデート

日曜日 いい天気かなぁ?
ざあざあ降りだと いやだなぁ
はじめてのデートだもん...
でも ロマンチックかなぁ?
雨は しとしと
目は きらきら
ハートは どきどき
2人は おどおど
1つ 傘の中

日曜日 暑いかなぁ?
お日さまは かんかん
日やけ ひりひり
のどは からから
あぁ いやだなぁ
でも たのしいかなぁ?
空は ひろびろ
散歩 うきうき
2人は にこにこ
はじめてのデート

日曜日が来た
わくわく そわそわ 
いらいら 待つ電話
リリーン
ひやひや とる受話器
「もしもし
サッカーのれんしゅう
きつ~い
へとへとなんだ ごめん」
がっくん しょんぼり

日曜日の午後
テレビの前で
ポチは すやすや
わたし ぶつぶつ
窓のそとは
ピカッ ピカッ 
   ゴロゴロ
夏の嵐だ
わたしの心だ。

落書きから始まった書くことへの喜びは、これからもますます続く。

2001年ブラジリアにて

© 2011 Laura Honda-Hasegawa

アイデンティティ ラウラ・ホンダ・ハセガワ 執筆
このシリーズについて

祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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