家の中は日本語の帰国子女
ロサンゼルスタイムスにコントリビューティングライターとして、この10年間、日本の食文化を紹介するコラムを寄稿してきた酒井園子さんに取材を申し込むと、彼女は週末であればベニス(ロサンゼルス市内のビーチ沿いの地域)の某所で開講しているクラスの後なら、と返事をくれた。
指定された住所に土曜日の午後に赴くと、そこは昔懐かしい手鞠などの手芸品が展示された日本の雑貨店だった。園子さんはこの日、この店の離れのようなスペースで、アメリカ人を相手に「おにぎり」を教えていた。
私が会場に入っていくと、既にクラスは終了した後だったが、後片付けをしている園子さんに一人ひとりが熱心に話しかけていた。そのたびに彼女は手を止め、相手の名前を確認し、受講の感想に耳を傾ける。
おにぎりの作り方をアメリカ人に教えている園子さん、彼女は一体どのような背景を持った人なのだろうか。生徒たちとの会話を横で聞きながら、私の興味はかきたてられた。
場所を隣のティールームに変えて、取材開始。「ここにはいろんなお茶があるんですよ。そしてケーキもあるの。どれか頼んでみない?」と提案する彼女の表情に、既に「食への興味」が読み取れる。
運ばれて来たアイスティーとケーキを前に彼女は、自分の生い立ちについて話し始めた。
「生まれはニューヨークです。父が航空会社に勤務していたから。50年代にニューヨークにいたと言えば、駐在員の草分けのような存在でしたね。そこで生まれた私は、ニューヨークから東京、サンフランシスコ、さらにメキシコシティーといろんなところで育ちました。それから日本に帰って、鎌倉へ、さらに東京に移って、70年代の高校2年生の時にロサンゼルスに戻って、そのままずっとアメリカです。そうそう、大学はUCデービスでしたが、交換留学制度で1年だけ日本の基督教大学(International Christian University)で過ごしました」
英語圏とスペイン語圏で育ったが、家の中は日本語で、口にする食事もまた母の作った日本の家庭料理だった。
「アイデンティティーを考える時に、やっぱり食文化は一番身近ですよね。海外生活では一歩家の外に出れば、その国の習慣に適応するように育てられました。ずっと現地の学校に通っていましたから、ローカルの学校でローカルの友達に囲まれていました。ですから、私自身は和洋折衷というのか、西洋も日本のものも両方いいところを吸収できて、今から思えばとても恵まれていたんですね」
園子さんの記憶には、鎌倉の家で祖母が竃で炊いたご飯が最も印象に残っているという。「お竃で炊いた、炊きたてのご飯って本当に美味しいでしょう?それだけで十分、他に何もいらない」
恩師に背中を押されて
母や祖母の手料理に幼少時から親しんでいた園子さんが、それを他者に紹介するきっかけを作ってくれたのは、ルー・ストーメン(Lou Stoumen)というアカデミー賞を二度受賞している写真家であり映画監督だった。
「大学院時代に、写真と映画に興味を持っていた私は、UCLAの映画科の先生だったルー・ストーメンのアシスタントを務めていたのです。彼は私に映像美術と写真を教えてくれていました。その時に、おにぎりを作って持って行ったら『美味しい』と喜ばれ、日本の家庭料理について書いてみたらいいと先生に勧められました。でも、私にはずっと言葉のコンプレックスがあったのです。3年おきに場所を変えて育ったので、英語が完璧ではない、かと言って日本育ちでもないということから、常に自分のボイスを見つけたいと思っていました。考えた結果、食べ物に関してなら書きやすいかもしれない、と思うようになりました。私が書いた英語の文章を先生がグラマーを直してくれたりして、手伝ってくれました。私は彼の助けを得て、英語で文章を書くことに自信が持てるようになったのです。ストーメン教授は私にとって実に素晴らしい恩師です」
彼女が取り組んだ本は、『The Poetical Pursuit of Food』(Sonoko Kondo名義)という形になった。
以来ずっと、園子さんは本職として映画の輸出入、後にはプロデュースに携わりながら、並行して日本の食文化を英語で紹介することにも取り組み続けた。彼女の言葉を借りれば「料理はパッション」なのだそうだ。
蕎麦作りに情熱を
一般に向けたクラスの中でも、彼女が特に情熱を傾けて教えているのが蕎麦打ちである。
「私の蕎麦のクラスで、たまたま映画の編集をやっている人が習いに来たんです。別の時間の、やはり蕎麦のクラスに、カメラマンも来ていました。彼らが蕎麦作りに非常に感銘を受けて、作り方を撮影したらいいと提案してくれ、最終的に音楽付きの20分の映像を作ってくれました。そして、私は彼らの授業料を無料にして、彼らは映像を無料で作ってくれたんです。こうして、日本料理を教えていく中で友達が増えていきました」
蕎麦に対するこだわりも「美味しい手打ちの蕎麦を食べたい」という情熱から生まれた。そこで日本の蕎麦作りの学校に6週間通い詰め、技術を習得した。
「皆、蕎麦はうどんより難しいと言うけれど、そんなことはありません。それに、何より、何もないところから、蕎麦の粉を麺にしていく過程、私はこれに魅せられているのです。麺と会話しながら取り組むことは一種のセラピーになります」
世の中にはあまりも加工品が溢れすぎていると園子さんは憂う。そのような加工品に囲まれた便利な現代生活を遮断して、蕎麦作りをしている間は温かい人間本来の営みに没頭することができるのだそうだ。
彼女の蕎麦作りへの情熱は、ロサンゼルスから2時間ほどのテパチャヒバレーに土地を購入して、家庭菜園規模ながらも蕎麦を種から栽培する計画にまで発展した。
日本の家庭料理を紹介し続けるゴールはどこにあるのかを聞くと、園子さんの回答は実に明快だった。
「イタリア人でなくても、家でパスタを家庭料理として作るでしょう?でも日本料理は外で食べることはあっても、日本人や日系人以外が家庭で再現するところまでいっていません。普通のアメリカ人が家でおにぎりを作ってくれるようになればと願っています。日本の家庭料理はとても美味しいし、健康食でもあるし、家庭料理を通して日本の伝統を大切にしたいのです。私は、それを是非アメリカ人に伝えたいと思っています」
http://www.cooktellsastory.com/
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和菓子文化とその歴史
2011年11月19日午後2時
全米日系人博物館にて
東京の和菓子職人水上力さんと酒井園子さんによる講義(英語)。健康的なお菓子としての和菓子や和菓子の西洋菓子への影響などについて。
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