ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/10/12/4127/

第13回 あんた、ニセイ語わかる?

学生のころ、おなじクラスに面白い子がいた。

彼女は日系人で、家ではほとんど日本語で話していた。

クラスの90%はブラジル人なのに、その子はどうどうと日本語の言葉を使っていた。

「あんた, estudou para a prova? 」(テストの勉強した?)

「Eu não entendi direitoあの lição」(あのレッスンはよく分からなかった)

最初は「変」に聞こえたが、クラスメートは自然にその子を受け入れ、おかげで休み時間はますますにぎやかなひとときになった。

今でも、「あんた」という言葉を聞くと、思わずほほえんでしまう。あぁ、どうしてるかなぁ、エレナさん。家庭を持って、だんなさんや子どもたちにも「あんた、あんた」なんて言ってるのかなぁ。なつかしいなぁ。


日本の食べ物にもニセイ語がある。

日本にデカセギに行って10年暮らした友だちはこう言った。「日本で食べておいしかったのはシュウリコー」。

聞いたことないなぁ。どういうもの?

「あんこの中にもちが入ってるの」

あぁ、おしるこのことねぇ!

日系人パーティーで男性が大声で「誰かシャシミーいるか。最後だ」と。みんなはわいわい「シャシミー。Eu quero, eu quero.」さしみは大人気。

朝市で「このカボチャンいくら」とある主婦が聞いていた。横にいたわたしに「日本人のしゅうとめに日本語習ってる」と、うれしそうにかぼちゃを選んでいた。

サンパウロの東洋街を歩いていたら、女性が近づいて「おばさん、まんじゅういらん」と聞いてきた。わたしよりずっと年上そうなのに...かごの中にはおまんじゅうのパックがいっぱい。「じゃ、一つ」とちょっとむっとしたわたし。

魚屋さんの前に立ち止まると、こむぎ色のドレッドヘアーの お兄ちゃんがいきなりにっこり「ばぁちゃん、ペイシェいる?」

えっ!?

もう、すっごく頭にきっちゃた!

© 2011 Laura Honda-Hasegawa

ブラジル 世代 アイデンティティ 言語 二世
このシリーズについて

祖父は日本から約100年前に来伯。私はブラジル生まれ。だから、私はブラジルと日本との「架け橋」になりたい。私の心に深く刻まれた「にっぽん」は宝物。ふるさとのブラジルで守りたい。そんな思いを込めて書いたのが、このシリーズです。(Bom Diaはポルトガル語でおはよう)

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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