ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/1/24/issei-pioneers/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その4

>>その3

「おい、沖縄」

ほとんどの耕地では、労働者たちは出身国別に異なるキャンプに住んでいた。 異人種の食事、服装、言葉などは相互に取り入れていたものの、人種を超えた付き合いは無かった。また同じ人種の中でも、ある程度の区別が出身地方の違いによって存在していたようである。

日本人では、「内地(北海道、本州、四国、九州出身者)」と「ウチナンチュウ(沖縄出身者)」の社会的距離が大きかった。日本列島から遠く離れていた沖縄には、独特の方言、音楽、舞踊、武術、料理などが発達していたので、沖縄県人は他県出身者から除け者、あるいは外国人扱いされる事が多かった。ある沖縄の一世は、彼らの言葉が内地から来た者たちのものと大きく異なっていたため、いつもからかわれていたのを記憶している。そして、沖縄出身者は名前で呼ばれることなく、「おい、沖縄」などと呼ばれていた。1

沖縄からハワイへ移民が渡ったのは1900年1月27日が最初で、27人の男性からなるグループだった。沖縄海外移民の父として知られる当山久三は、沖縄の経済困難の解決策としてハワイへの移民を積極的に奨励した。ハワイに渡ってきた日本人移民の中で最後のグループとなった沖縄県人は、主に日本南西部の各県出身者で作られていた既存の日本人社会に入り込むのに大変な苦労を強いられた。しかし、日本人移民のアメリカ渡航が禁止された1924年までに、さらに2万人の沖縄県人が渡航しハワイの発展に多大なる貢献をしたのである。2

ある沖縄移民は、彼らが不屈の精神を持っていたと誇りを込めて語っている。その精神がどんな困難に遭遇したときにも、再び立ち上がることを可能にしたのである。3

バナナの繊維を使って作られた沖縄の着物。1900年頃。 Gift of Mr. and Mrs. George Kiyoshi Sankey, Japanese American National Museum (91.7.1)

アメリカ本土への移住

1898年にアメリカがハワイを併合すると、それまで存在していた労働契約は無効になった。日本人労働者たちはより良い仕事を求め、ハワイの島々は急速に「アメリカ熱」に包まれた。そのなかで、アメリカ西海岸の鉄道会社、農場、缶詰工場などから派遣された労働者斡旋業者が、日本人を勧誘して回った。彼らの話によれば、アメリカ本土では一日当たり1ドル35セントが約束されていた。それはハワイ耕地労働者の2倍の賃金にあたった。

募集広告には、「シアトル、タコマ地区に向け600人の労働者、6月19日出発」などと宣伝してあった。他にも、「今こそ出発の時」などと訴えるものもあった。船の出港日になると、ホノルルにあった24軒の日本旅館やホテルは、アメリカ本土へ旅立つ日本人移民で溢れかえった。

ハワイの耕地主たちは、日本人労働者流出の可能性をあらかじめ予想し、1899年だけで2万6,000人を超える新しい契約労働者を、日本から導入していた。しかしそれだけでは、その後7年間にアメリカ本土へ渡った4万から5万7,000人といわれる日本人労働者の穴を埋めるには到底いたらなかった。4

日本人集団移住に危機感を抱いた耕地主、日本領事館、日本人社会指導者、ハワイ州議会は必至にこの動きを食い止めようとした。議会は、本土からの労働者斡旋業者に500ドルの免許料を科するなどしたが、結局空しい努力でしかなかった。

しかしハワイからアメリカ本土への日本人の移住は、1907年3月18日、セオドア・ルーズベルト大統領の行政命令により禁止された。さらにこの命令の効力をさらに強化するため、アメリカ政府は日本政府から労働移民に対する旅券の交付を自粛するという確約を得た。この二国間交渉は一般に日米紳士協定(1907-1908)として知られ、日本からの労働者のアメリカ本土への直接移住をも止めることとなった。この後、ハワイに留まった日本人移民らは、アメリカ本土に劣る生活及び労働状態を改善するため闘うことになるのである。

その5>>

注釈
1. Yukiko Kimura著、Issehi: Japanese Immigrants in Hawaii (ホノルル、1988) 74-75ページ。
2. Yukiko Kimura著、 “Social-Historical Background of Okinawans in Hawaii”、Uchinanchu、51-71ページ。
3. 同66ページ。
4. 移民局労働統計部による1902年1月から1910年6月までの統計を基にしている。詳しくはOkahata、前掲書、162ページを参照のこと。


*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。 

© 1992 Japanese American National Museum

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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