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広がる「ゆいまーる」精神 -進出企業と沖縄系社会の「出会い」から- その1

電解水生成器製造販売のエナジック社(大城博成会長、本社・東京)は2010年10月、米国支社(比嘉孝一郎副社長、トーレンス市)の創立7周年を記念して、ラスベガスでコンベンションを催した。同社は現在、世界11カ国に支社があり、販売活動は欧米やアジアの55カ国におよぶ。コンベンションには20カ国から1300人のエージェントらが参集、文字通りの「世界大会」となったが、大城さんが席上訴えたのが「地域社会に利益を還元しながら企業の拡大を図っていく」という経営理念だった。そこには、出身地・沖縄で母親から常日ごろ聞かされていた「ゆいまーる」の精神があった。「ゆいまーる」は「共に助け合っていくー自分を捨てて人に情けをかける」という沖縄の言葉だ。大会でスピーチしながら、大城さんの胸に、米国進出に際してさまざまな形で受けた米国在住の沖縄系の人々の温情がよぎっていたことは間違いない。そして、その温情に報いようと努めてきた7年。各国のエージェントの体験談を聞きながら大城さんが涙する一幕もあったが、それは「ゆいまーる」の精神が国境を越えて広まったことを目の当たりにすることができ、感きわまっての涙だったのかもしれない。

ラスベガスでのコンベンション。大城会長がこれまでのアメリカにおける経過を説明しているところ。右は通訳のダン・プロッサーさん。

「還元水」との出会い

大城さんは1941年、国頭郡久志村(現・名護市)生まれ。45年3月に米軍が沖縄に上陸。久志村は沖縄戦に直接巻き込まれたわけではなかったが、村民が山中に逃げ込み、マラリアで姉と弟を亡くした。大城さん本人も重いマラリアにかかり、死線をさまよったが、奇跡的に快復。この経験が「生まれ故郷にできるだけの貢献をしたい」という気持ちとなった。

戦後、那覇商業高校に進学。2年生の時にキリスト教の洗礼を受けた。その後、久志村役場の税務課に勤務。7年後、税理士になるため上京し、会計事務所で経験を積んでいたが、2年後に長兄が事故で重体となったため帰郷。しかし、一旗揚げたいという夢を捨て切れずに再度上京し、今度は計算機を扱う会社に経理マンとして就職。ただ、大阪に転勤後、技術革新の中で計算機の価格がみるみる下落し、会社は倒産という事態に。

そんな折、知り合いの大阪ソニー販売の社長に勧められて、沖縄にソニー製品の販売会社を設立。ソニーの「ベータマックス」を、沖縄だけでなく、鹿児島、宮崎、熊本など、九州にも販売していった。

しかし、事態はまた暗転。ベータマックスがVHSに押され、敗れたのだ。業績は一気に悪化。社員も次々に辞めていき、会社は廃業状態に陥った。当時を振り返って大城さんはこう話す。「本当に死を意識した。一家が離散するほど苦しい時だった。しかし、考えてみると、当時は自分が助かるために商品を売っていた。そこには、自分を捨てて人に情けをかける『ゆいまーる』の精神はなかった」

「ゆいまーる」の道を求めて、大城さんの模索が始まる。そんな時、東京で開かれた還元水についての講演会に足を運んでみた。88年のことだった。講演を聞いて、大城さんは思った。「健康維持のためにこれを人々に提供することで、生涯をかけて人のために尽くすことができる」。運命の出会いだった「ゆいまーる」精神を生かす道を求めていた大城さんだったからこその出会い。ある意味で必然の出来事だったのかもしれない。

事業発展で米国進出

大城さんは、沖縄でのソニー製品販売のため、74年に「日本シグマック」を設立していたが、ほとんど休眠状態だった同社の社名を「エナジック社」に変更し、90年に電解水生成器の販売を開始した。2001年にはメーカーを吸収合併、製造から販売まで手掛けるようになった。

電解水生成器の販売は、高齢化や医療費の高騰の中、順調に伸びていった。治療医学から予防医学、抗加齢医学への流れが追い風となった。

前原利夫牧師

日本での販売数が飛躍的に伸びる中、大城さんは友人から米国進出を勧められた。03年のことだった。だが、米国にはあてがない。しばらく思案しているうち、那覇商高時代の同期生がロサンゼルス方面でビジネス・コンサルタントをしていることを思い出した。前原利夫さんだった。高校卒業以来、一度も会っていなかったが、前原さんと会うことを考えると、大城さんの胸は高鳴った。

前原さんは沖縄県宮古島の出身で、沖縄大学卒業後、フルブライト奨学生としてハワイ大学に留学。その後、南カリフォルニア大学(USC)で経営修士号を取得し、75年に前原アソシエーツを設立、経営コンサルタントとして活躍してきた。フラー神学校でも修士号を取得しており、牧師の資格もある。

大城さんは前原さんと会うため、すぐにロサンゼルスに飛んだ。そして前原さんと面会。その人柄に惚れた。沖縄でともにキリスト教に入会という結び付きもあった。「アメリカ進出は可能だ」。決断は早い。早速アメリカ支社の設立を思い立ち、カリフォルニア法人を開設した。前原さんを相談役にしての出発だった。

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*本稿は、長島幸和氏による編集です。

© 2011 Sadao Tome

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