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二つの国の視点から

ダニエル・オキモト~日本を代弁する国際政治経済学者 -その1

「アメリカに、地すべり的勝利という表現があるが、これは地すべりどころか、大地震といっていい」

国際政治経済学者で、日系人きっての知日派であるダニエル・オキモトは、今年(2009年)8月の衆院選での民主党の圧倒的勝利を、こう表現した。

この記事を読んで、オキモトはまだまだ健在、と私はうれしくなった。私がオキモトのことを知ったのは、1975年に「トーク・ショー」というNHKの英語教育番組を見たことがきっかけだった。

34年前に見せた、強制移住への問題意識

「トーク・ショー」は、元大学教授で、今も英語教育などについて出版活動を続ける國弘正雄が1970年代に手がけていた番組である。英米などから来日する知識人を英語でインタビューする形式で、話題は政治経済をはじめとして、文学や宗教など、多岐にわたっていた。当時高校生だった私は、この番組を熱心に見ていたので、ゲスト一人ひとりを今でもしっかり覚えている。オキモトもその一人で、75年の4月に2回にわたって放送された。

『語り合う現代』 (國弘正雄 日本放送出版教会 1977年) ダニエル・オキモトとの「トーク・ショー」の和訳を収録

オキモトは、1942年の8月に、カリフォルニア州のサンタ・アニタ仮収容所で生まれているが、私が日系アメリカ人の強制収容所について知ったのはこの番組を通してである。日本史でも世界史でも、学校で習った記憶はない。オキモトは、國弘との対談でこんな風に答えている。

國弘:生まれたのは確か戦争中、日系人の移住センターにおいででしょう。

オキモト:そうです。日系人がアメリカ内陸部の移住センターに移される途中の、サンタ・アニタ競馬場というところで生まれました。ですから悪いしゃれですが、生れ落ちたときから、あちこちを駆けずり回るように運命づけられていたのでしょうね。(笑)

國弘:あなたの本の中にも出てきますが、婉曲に移住センターとはいっても、実体は強制収容所みたいなものだったんでしょう。

オキモト:まったくその通りです。移住センターという婉曲語を選んだのはアメリカ政府でしたが、このことばは、あの強制移住という事件のもつ重みを十分に伝えていません。

この時の対談のタイトルが「比較的視野から見た日本」だったので、強制収容所についての話はこれだけで終わっているが、「実体は強制収容所みたいなものだったんでしょう」という國弘の切り返しは心にひっかかるものがあった。そこで、この対談で紹介されたオキモトの『仮面のアメリカ人』をすぐに書店で買ってきて読んだことを覚えている。

秀才だったオキモトは、1965年にプリンストン大学の歴史学部を卒業、67年にはハーバード大学で東アジア研究の修士号を取得。67年から70年まで東京大学大学院で国際関係論を専攻している。当時、東大では学園紛争の絶頂期で、オキモトには自由な時間が多くあった。その時間を彼は自伝『仮面のアメリカ人』の執筆に当てた。その間に書き終えて70年にアメリカで出版され、翌年日本語訳が出版された。

日系人として生きる困難さを自伝に

仮面をかぶったアメリカ人。多くの日系、あるいはアジア系アメリカ人は、自分のイエロー・フェイスを仮面と思い、アイデンティティの模索に時間を費やす。オキモトも例外ではなかった。

『仮面のアメリカ人』 (サイマル出版会 1971年) 現在は絶版

白人女性とつきあえば、白人女性は自分たちのもの、という白人男性の視線を感じずにはいられなかった。オキモトが白人女性の家にまでいけば、「ミスター・モトが来ているよ」とか、「娘に近づかないでくれ」とまでいわれる。ミスター・モトとは、1930年代に生み出された小説の主人公で、後に映画化され、白人によって演じられた日本人のスパイである。いまでもアメリカで、日本人、あるいは日系人の代名詞のように使われる。

このような経験を何度もすれば、自己防衛本能が働き、白人女性とつきあうことに慎重にならざるを得ない。オキモトは、最終的にナンシー・ミラーという白人女性を配偶者に選んだが、この女性に出会っていなければ彼の自己防衛意識は生涯続いていたかもしれない。

それでもこの時点では、彼は自分が日系人であり、アメリカ人であるという二重のアイデンティティを克服することができないでいた。自らの二重性を積極的に受け入れることができたのは、日本に住んでからである。日本で、人種的に多数派の中にいる安心感を味わったり、日本人の外国人に対する差別意識を強く感じたり、父方の親族に会うなど、様々な経験を重ねていきながら、日系アメリカ人、という自らのアイデンティティを受け入れることができるようになったのである。それからは、自らの日本人的要素を抑圧したり、白人に憤りを感じたりすることは、彼にとって大きな問題ではなくなった。

オキモトには、日系アメリカ人としてだけでなく、アジア系アメリカ人としてのアイデンティティもある。『仮面のアメリカ人』の前書きでオキモトは次のように書いている。

「日本の国際的イメージや行動はアジア系アメリカ人としての私自身のアイデンティティの問題と深くからみあってきた」

アジア系アメリカ人という言葉は、ちょうどオキモトが日本に滞在していた1968年に、カリフォルニア大学バークレー校での学生運動から生まれてきた言葉である。日本への留学中にも彼は、アメリカでの政治状況を把握していたのだろう。

この時代は、ベトナム戦争が影を落としていた時代でもあった。来日する前、彼はアメリカ政府に徴兵された場合にそれに従うかどうか大いに迷っていた。第 2次大戦中、収容所に入れられた日系人はアメリカへの忠誠を誓うかどうかを試されたが、この「忠誠」という問題は、第2次大戦の出来事だけでないことを私は本書で教えられた。

この本は、1984年に『日系二世に生まれて』というタイトルで新装版が出され、「仮面のアメリカ人」は副題となった。この間に、アメリカでは日系人収容に関して公的な委員会の報告書が出された。そして、この数年後に実際、日系人全員に2万ドルの補償がなされることが決まるのだが、オキモトはこの時点で補償は難しいだろうという観測を示している。1989年に下された補償の裁定は、彼にとっては予想外の喜びだっただろう。

本書は、出版元のサイマル出版会が倒産したために、絶版になってしまった。文庫でもいいから他の出版社から出ないものか。サンタ・アニタの仮収容所で生まれたところから東大紛争、ベトナム反戦まで描いたこの本は、現代史の貴重な一証言でもある。

その2>>

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第8回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

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このシリーズについて

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。