ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/3/29/nikkei-latino/

ペルーの目覚ましい経済成長と本国への未練 

近年ペルーの経済成長ぶりが注目されており、実際にここ10年近くの経済成長率をみると、6%、7%、8%という高い水準を見せている。一人当たりの所得も確実に上がっており、年間平均所得も90年代後半の2.500ドルだったのが、今では4.500ドルに達している。それだけではなく、以前から悩みの種だったインフレ率は低い水準に抑えられ、通貨ヌエボソルはドルより高くなっている。これはペルー政府が健全な財政運営をしている証でもある。80年代には国際的に債務不履行になった国だが、今は300億ドルに達する外貨準備高で対外債務(340億ドル)をほぼ一括で支払う潜在的能力も持っている

鉱物資源の輸出が全体の65%を占めているが、最近はアグロインダストリー(農加工業)が盛んで、アスパラガスの輸出が世界一であり、ワインも輸出するようになった。海外移民の送金が年間30億ドルぐらいだが、それ以上に輸出の収入も増えており(310億ドル)、外国からの直接投資も順調である(パナマやチリに次いで最も信頼度が高く投資先としても有望視されている)ため、国民総生産GDPの20%近くは民間投資で占めている。貧困率も10%削減され、徐々にだが所得の分配も改善しつつあると専門家は指摘している。

リマの高級ショッピングモールLarcoMar. (http://www.larcomar.com/) こうしたモールが増え、各業種の熾烈な競争が目立つ。

海外との投資・貿易協定も盛んであり、日本とも二国間投資協定がつい最近発効され自由貿易協定FTAの交渉も進んでいる(2010年には締結予定)。隣国ブラジルとの共同インフラ整備も進んでおり、北部はアマゾン地域、南部は山岳砂漠地帯だが、これらが完成すればアジア太平洋圏との貿易も増え、港や空港の役割も更に重要になってくる。事実上、リマ国際空港はこの地域全体のハブにもなりつつあり、南米南部地域の主要都市との定期便が飛躍的に増えている。

マクロ経済や貿易の統計をみる限り、ペルーも新興国の仲間入りを果たしつつあるが、貧窮問題が改善されつつある一方で所得格差は拡大している側面もある。鉱山関係やリーディング輸出産業、流通業の一部では、年末ボーナスだけで10万ドル(900万円相当)のマンションが買える従業員もいる一方、実質賃金が月収300~400(3~4万円)ドルぐらいで家族を養っている世帯も多く、そのうえ社会保障制度外のブラック労働率もまだ高い(労働市場の6割は非正規労働というより記録が無い完全なインフォーマル労働である)。失業率は7.5%ぐらいであるが、都市部と農村部間の格差はひどく、市場のミスマッチも深刻である。また、ペルー国民の自国の政治制度、行政、裁判所、警察官への信頼は低く15ポイントにとどまっている

海外に移民しているペルー人は200万人とも、300万人とも言われている。2008年末の世界経済危機を機に、アメリカやスペインから戻ってきた同胞がその1年で約15万人にのぼると言われている。しかし、その倍近くがまた他の国、主にチリやフラジル、アルゼンチンという近隣諸国へ移住しているのも事実である

日本からも、2009年中に、日本政府の帰国支援事業によって帰国した者が600人超で、自費では2000人程度が帰国したという。しかし、それ以上の人数が再度日本に入国しており、ペルーから離れている。

ペルー人の海外移住が減少している統計。キョウダイ主催のセミナーでLuis Baba氏のプレゼンテーション。

上記の統計等をみる限り、うらやましいぐらいペルーは成長しており、多くのチャンスを秘めている。戻れば自分の住み慣れた社会で再起をはかることは十分可能にも見える。そして、日本で得た貯金を有効に活用すれば以前より安定した将来性のある生活を営むことができるのではないかと誰もが思うところが、実態はそう甘くない。

移民でよく見られる現象だが、本国で多少スキルがあっても移民先ではほとんどが非熟練労働につくことが多く、数年稼いで本国へ戻ったときは出身国の社会も変化しており、以前のような方法と考え方では職にも就けず、起業することも容易ではない。再度、自身の社会で再スタートすることは相当の覚悟と精神的エネルギーが必要であり、日本に、又は移民先に半永久的に留まることと同じ覚悟が求められるのである。戸惑いと未練を感じながらも、一部の者以外はほとんどが「住み慣れた移住先」へ戻るのが今の傾向であるし、この流れに沿って移住先である日本で生活基盤を固め、自身の年金や子どもの教育という中長期的課題にもきちんと対応することである。出稼ぎ感覚で本国と移住先の「美味しいところ」だけをつまみ食い続けては成功の道は開けないのである。

こうした未練と覚悟の手本は、戦後南米に移住した日本人にもあったようである。特に、1960年代後半になると日本の経済成長は目覚ましく、70年代には一人当たりの所得も急増し、80年代前半には世界の経済大国二位になった。「あのとき帰っておけば良かった」と思った移住者もいたと推測できるが、一度自分の国を後にし10年以上海外で働き、生活をし、家庭を築くと、帰るための経済的余裕ができたとしても精神的、社会的には元の社会にはなかなか適応しないのが現状である。先人が覚悟を決めたおかげで尊敬される日系社会を築けたのである。

注釈:
1. http://www.jetro.go.jp/world/cs_america/pe/
こうした内容は、キョウダイ社が2009年10月に実施したペルー・日本ビジネスセミナーでも紹介された。

2. 世界労働機構米州支部 http://www.oit.org.pe/index.php
ここには中南米の雇用、失業問題のコラムやレポートが掲載されており、ラテンアメリカ全体でもブラック労働が60%台であり、農村や都市部郊外、建設や農業という分野ではその割合が80%にも達していると危機感をみせている。

3. このサイトでは中南米の政治統計や意識調査が公表 http://www.latinobarometro.org/

4. 移民研究の第一人者テオフィロ・アルタミラノ教授によると、ペルー移民帰化局は2008年に15万人ぐらいの海外在住の同胞が帰国しているというが、同時期30万人が再度海外へ移住しているというが、2007年には23万人、2008年には17万人と減少傾向にある。Teófifo Altamirano Rúa, Migración, Remesas y Desarrollo en Tiempos de Crisis, pág.25, PUCP-Dpto. de Ciencias Sociales, UNFPA, 2009.

© 2010 Alberto J. Matsumoto

出稼ぎ 経済 外国人労働者 在日日系人 ペルー
このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。

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執筆者について

アルゼンチン日系二世。1990年、国費留学生として来日。横浜国大で法律の修士号取得。97年に渉外法務翻訳を専門にする会社を設立。横浜や東京地裁・家裁の元法廷通訳員、NHKの放送通訳でもある。JICA日系研修員のオリエンテーション講師(日本人の移民史、日本の教育制度を担当)。静岡県立大学でスペイン語講師、獨協大学法学部で「ラ米経済社会と法」の講師。外国人相談員の多文化共生講座等の講師。「所得税」と「在留資格と帰化」に対する本をスペイン語で出版。日本語では「アルゼンチンを知るための54章」(明石書店)、「30日で話せるスペイン語会話」(ナツメ社)等を出版。2017年10月JICA理事長による「国際協力感謝賞」を受賞。2018年は、外務省中南米局のラ米日系社会実相調査の分析報告書作成を担当した。http://www.ideamatsu.com 


(2020年4月 更新)

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