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二つの国の視点から

スティーブン・オカザキ~太平洋の真ん中に立つ映画監督-その2

>>その1

『ヒロシマ ナガサキ』でもう一人強く印象に残ったのは、谷口稜輝(たにぐち・すみてる)さんだった。証言している最中、突然服を脱いで自分の傷ついた体をカメラの前にさらし始める。谷口さんは16歳のとき、被爆で背中全体が焼けただれ、1年9ヶ月をうつ伏せで過ごした。そのため胸が床ずれをおこして肋骨の部分が浮かび上がり、茶色に変色している。オカザキによれば、谷口さんの突然の行動は全く予定していなかったことだったという。

『ヒロシマナガサキ』DVD 発売・販売:株式会社マクザム 提供:シグロ/ザジフィルムズ (C)2007Home Box Office, inc. All rights reserved.

谷口さんに限らず、オカザキの前で被爆者たちは非常にリラックスして本音を語っているように思える。それはオカザキが25年にわたって彼等と対峙してきたこともあるが、日本人でも白人でもない、彼の中立性が彼らの胸襟を開かせ、本音を引き出すことができるのだろう。

この作品でもう一つ大事な部分は、原爆を投下したエノラゲイの乗組員やロスアラモス原爆研究所に勤務していた4人のアメリカ人の証言である。原爆投下については任務を遂行しただけで悪夢を見ることもない。正当なものだったと全員が口を揃えるが、最後に、セオドア・カークというエノラゲイの航空士が言う。

「何人かが集まると必ずバカな奴がいう。イラクに原爆を落とせばいいんだと。核兵器が何なのかまるでわかっていない。わかっていたら言えないことだ」

映画の最後に出てくるこの一言で、救われる気がする。オカザキはメッセージ映画には興味がないというが、この航空士のひと言をアメリカ人にも日本人にも伝えたかったんだと思う。太平洋の真ん中に立ってものをみている日系アメリカ人の立場が日米双方の本音を引き出すことに成功したのだろう。

先に紹介したが、オカザキにはもう一つ、『マッシュルーム・クラブ』という34分の小品がある。原爆小頭症の人々を支援する「きのこ会」を紹介した作品だが、この作品にも被爆者の証言が出てくる。広島市といえば「川」。中心部をいくつもの川が流れる。原爆が投下された時、多くの人間が熱さに耐えかねて川に飛び込んで死んでいった。当時、25歳の新妻だった佐伯敏子(さえき・としこ)さんは、80歳を過ぎた今も川べりを歩き、被爆した中学生の学生ボタン、消防隊員のボタン、時計、指輪などを拾い歩く。

「原爆が落ちたとき、たくさんの人が苦しんでいるのに、私は自分の肉親を捜すために皆を置いて逃げた。私は自分はいい人だと思ってた。ところが、原爆が落ちて、町の中でやっていけないことをたくさんやった」

こう言いながら佐伯さんの目から涙がこぼれる。今でも川岸を歩いて原爆犠牲者の遺品を収集しているのは、まるでその時の償いをしているかのようだ。

祈りにも似たヒロシマ、ナガサキへの想い

『マッシュルーム・クラブ』DVD 発売・販売:株式会社シグロ (C)2005 Farallon Films. All rights reserved.

ロサンゼルスのヴェニスで生まれ育ったオカザキは、日系アメリカ人のボーイスカウトにいて、土曜日は日本人学校に通っていた。小学校では絵ばかり描いていた。中学のとき、ローリングストーンズの音楽に出会い、ロック音楽に傾倒してバンドでギターを弾いていた。高校卒業後、ベイエリアに移り、サンフランシスコ州立大学で映画を専攻したが、バンド活動は続けていた。彼の映画に若者が音楽に熱中する場面が時折出てくるのは、その時の思いがあるからだろう。『マッシュルーム・クラブ』でも『ヒロシマ ナガサキ』でも若者が路上でギターをかき鳴らす場面が冒頭に映し出される。まるで物語が始まる前の儀式のようだ。本編に入っても時折、音楽を大切にしていることに気づかされる。第二次世界大戦時の日系アメリカ人収容所を描いた『待ちわびる日々』では、笙を使った音楽がすぐれた効果を発揮していた。


ドキュメンタリーは事実を描くものではあるけれど、作品として観客に見てもらう以上、ある程度の演出はあったほうがいい。彼の場合、若い頃に傾倒していた音楽が、いい形で活かされている。

オカザキは、原爆、日系人収容所以外にも、日本のポップカルチャー、ネイティブハワイアンの住民運動、アメリカの核実験、麻薬、エイズ、などさまざまなテーマで作品をつくっている。それでも、やはり彼にとってヒロシマ、ナガサキは、一度離れても常に帰ってくる原点のような場所でありテーマだ。その理由は、これ以上に心をかき乱し、感動的な物語がないからだと彼自身は言っているが、私はある種の「祈り」のようなものを感じる。そうでなければ、これほど長期間にわたって、あれほど丹念な聞き取り調査ができるはずがない。

在韓・在中被爆者などの在外被爆者を含め、描きたいことはたくさんあるだろう。彼のヒロシマ、ナガサキへの旅はまだまだ続く。

(敬称略)

在米被爆者 関連資料
「在米被爆者のこころ」 据石和 『長崎の証言』第9集 1977
『私たちは敵だったのか』 袖井林二郎 潮出版社 1978
『生き残った人々』 上坂冬子 文藝春秋 1989
『在米五十年 私と在米被爆者』 倉本寛治 日本図書刊行会 1999
『ヒロシマの証言-被爆者は語る』 ビデオ 広島平和文化センター 1986~
証言ビデオリスト(外国人部門)
No.1 寺田フランシス淑子
No.7 石元恵美子
No.8 倉本寛治
No.9 佐伯一人
No.17 チエコ・ブレイブル
No.33 据石和
No.34 内藤千代子

スティーブン・オカザキ監督の制作会社、Farallon Filmsのウェブサイト: http://farfilm.com/

 

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第2回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

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このシリーズについて

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。