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「神原基金」と「神原育英会」の成り立ちと今後

2007年、パラグアイで神原基金と神原育英会が設立した。今後、パラグアイと日本をつなぐ架け橋になるだろうと、パラグアイの日系コミュニティの中で大きな話題となった。当初からこの基金・育英会の設立に力を注いでいたのは、2009年10月に5年余の任期を終え、パラグアイに帰国された前パラグアイ共和国駐日大使田岡功氏であった。その田岡氏より、その成立経緯について話を聞いた。

はじめに

神原汽船とパラグアイとのつながりは、1956年ラパス地区に広島県の沼隈町開拓団5家族が入植したのが始まりです。当時の神原汽船社長・神原秀夫氏は1955年、39歳で沼隈町初代町長に当選し、戦後日本の苦しい中で「世界と日本の将来は、南米にあり」と、ラパスに第2の沼隈町を作ろうと神原汽船がスポンサーにもなって移住者を送り出しました。

その後、想像を絶した原始林開拓の困難と、世界的な造船危機もあり、神原汽船はパラグアイから一時、手を引きました。しかし、1977年に逝去された神原秀夫氏は生前、パラグアイと日系人への想いを、その遺言に残されたと聞きます。その遺志を継がれたご子息、神原眞人氏(神原代表)はこれまでラパス地区に和太鼓やピアノなどを贈られて来ました。

さて、2004年、私が駐日大使として赴任した時、神原眞人代表に招待され広島県沼隈町の常石グループ本社(神原汽船は常石グループの源流企業)を訪問し、また神勝寺無明院にある故神原秀夫氏のお墓にお参りさせて戴きました。その時、神原代表から故秀夫氏の遺志を実らせるにはどのようにすれば良いかと、ご相談をうけました。神原代表は、亡くなられたお父様に似て、大変な思いやりと、こころざしを持たれた方で、彼はパラグアイからの出稼ぎの方を会社で受け入れることも出来るが、パラグアイ日系全体に価値のあるもの、将来につながるものは何であろうかと相談されました。私は、丁度その頃、日本で、パラグアイ日系社会での教育の大切さ、また、日本語教育の成果を実感していました。

パラグアイ日系人の長所

駐日パラグアイ大使館に手続きに来る日系人から話しを聞いたり、彼らが主催した歓迎会に出席したり、JICA研修生の会議などで話を聞いたところによると、パラグアイ日系人の多くが、パラグアイで学んだ日本語と日本的習慣や文化のお陰で、それぞれの職場で責任のある地位につき、会社で本採用になり、研修でも歓迎されているということでした。日本には30万人近いブラジル日系人、ペルーやボリビア、アルゼンチンからも数万人の日系人がいます。その中でパラグアイ日系人のすぐれた点は日本人と変わらない日本語や日本文化を身につけていることだと気付きました。

移住70周年を機会に

その頃、パラグアイ日本人会連合会の小田俊春会長が、パラグアイ日本人移住70周年記念事業への協力願いで日本に来られたので、私と二人で広島に神原眞人代表を訪ねました。小田会長が神原汽船(常石グループ)に記念事業へのご協力を戴きたいと話された時、とっさに私が提案した事業が、1億円を基本財源にした基金を立ち上げ、その利息を日系子弟の教育に役立てるというものでした。その時、神原代表は、「1億円なら、なんとかなる」と答えられました。

また、私は大使になる前、日系農協中央会会長やコロニアの農協役員を長く務めていたので、次の提案もしました。「パラグアイの日系農家は、通常、農協から年利25%程度の営農資金を借りているので、常石グループからの基金を経済団体である農協中央会に預け、中央会がその基金に定期預金並みの利息を神原育英会に基金運用益として払い、育英会はそれを活動原資にする。一方、中央会は長期(10年)の神原基金を傘下農協に貸出せば、日系農家は安心して、長期基盤整理資金に活用出来る。」

この案に対し、日頃から地元、沼隈町の発展や、中国や東南アジアの方々の留学や研修にいろいろ貢献されておられる神原代表やその関係者らは大賛成でした。

結果、2007年7月、私が一時帰国したおり、常石グループ伏見会長がアスンシオンに来られ、農協中央会と日本人会連合会と一緒に神原基金と神原育英会の創立発起人会が開かれ、12月には神原から農協中央会に1億円の送金が実現しました。

新しいパラグアイ大使館の開所式にて(2009年9月7日)。右側が田岡大使、左側が神原眞人氏。この大使館の移転に関しても、神原氏の絶大なるご協力をいただきました。(写真:常石グループ提供)

今後に向かって

以上の経緯で、神原基金と育英会が創設されました。私は、当初から係わった者として、また、パラグアイの日系社会と日本との橋渡しをした者として、次のことをお願いしたいと考えています。

神原代表と常石グループは、パラグアイへの送金にあたっては、日本で将来税務上の問題が生じないように最善の注意を払った上で、基金と育英会を発足させました。受け入れ側の中央会と連合会は、神原代表らの強い思いを十分に受け止めて、目的達成のために最善の努力を続けていただきたいと思います。万が一、それをおろそかにし、結果が出ないとなると、日本では送金目的にまで疑惑が持たれてしまう可能性が生じるからです。

その目的は基金と育英会の規則にありますが、中央会と農協は資金を地域農業や組合員の将来への試験事業や、長期的な農業基盤整備に活用すること。育英会では優秀な日系後継者と人材を育て、また教育推進委員会など日系教育機関の活動を充実させ、ひいてはパラグアイ社会の安定・発展に寄与することが期待されています。

また、これらの活動を、毎年定期的に神原代表と常石グループに報告することだけでなく、中央会と連合会の役員が変わっても、基金と育英会の趣旨・目的を、後任の方々に引き継いでいただかねばなりません。

何故なら、繰り返しますが、神原基金と育英会は、故神原秀夫氏から神原眞人氏、また神原汽船のパラグアイ日系社会への熱い思いの連続の中に実現したものです。結果、日系社会はその思いを受けとめ、日系社会で、またパラグアイで芽を出させ、花を咲かせることがその務めと思います。

私個人としては、神原基金・育英会の創立はパラグアイ日本人移住70周年のもっとも大きな記念事業になったと考えています。そしてその成果が、移住80周年には現れることを、心から願っています。

© 2010 Federación de Asociaciones Japonesas del Paraguay

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