ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/01/25/

第4回 (最終回) はじめてのアスンシオンからの「出前授業」と「第3回日系子弟の今後を考える会」

なにごともはじめが肝心である。高校生に何を、どのような形で「出前授業」をするのか?高校生が果たしてまじめに聞いてくれるだろうか?私は正直言って不安だった。

2008年10月18日、JICA日系研修員OB会の会長である、アスンシオンの鈴木等(ひとし)さんが3人のOB会メンバーを引き連れてイグアスに来てくださった。場所は、予定していた「匠センター」が改修中なので日本語学校の一教室をお借りした。

高校生たちがひしめく中、最初に、皆の前に立ったのは女性だったが、なぜか首に、「鈴木等」というネームプレートを掛けていた。そして「この星に生まれて」という素敵な歌を紹介して下さった。

どんな言葉で 飾るよりも
生きるちからを 持ちつづけて
はるかな空には 虹も輝くから
つよく、つよく、歩きつづけて
河はゆるやかに 時を旅する
広い宇宙の 風に乗りながら
(くりかえし)
Dreams come true together 
夢をすてないで
Dreams come true together 
かならず叶(かな)うから

この女性はアスンシオン日本人学校の教師をしておられる、ピラポ移住地出身の工藤寿恵(としえ)さんだった。歌の後に、彼女は、高校生たちに今感じている壁とか、それぞれの夢を書いてもらい、それをタイムカプセルに入れましょうと話しかけられ、それを全員が惹きつけられたように聞き入っていた。

鈴木等さん

つづいて、鈴木等さん本人が皆の前に立ち、当日の「出前授業」のテーマ「パラグアイで生きる楽しさ、そして夢」を紹介された。 内容は、鈴木さん自身が育った日系の一番古い移住地ラ・コルメナでの、子供時代から高校時代と学生兵役の思い出、大学時代、そして社会人になってからの楽しかったこと、大変だったことをプロジェクターで当時の写真を映し出しながら、とつとつと語られた。特に小学校を1年生で中退したり、大学を11年もかけて卒業したことは、まさにこの歌のように、「夢を捨てないで、必ず叶うから」をそのまま教えて下さっているような気がした。

鈴木さんは、高校時代に、将来は農学かエ学か、経営学か、建築かと、進路選択に迷った時、夢を信じて電子工学科を選んだ。そのきっかけは、日系人の岸さん(元ANTELCO電信電話公社総裁)が故郷のラ・コルメナに帰って、高等生に話された内容を姉から聞いていたことが記憶に残っていたためと話された。

ラ・コルメナ日本語学校では、運動会や学芸会の行事、友達関係で日本語以外にもたくさんのことを学んだ。また、日本語ができたことで日本の文献に目を通すことができ、その結果、JICAの研修にも参加できたと言われた。

大学や職場では多くのパラグアイ人の友人や先輩との交流を通して励まされたこと、苦労して作った卒業論文「コンピュータにおけるファジイ理論」が教授に評価され、大学で教え始めるようになったこと。自分が教える立場になり、初めて多くのことを覚えるようになったことなども話された。

そして人間の価値は能力よりも根気や努力であり、最後に、なぜ自分はパラグアイで頑張るかということについて
· 自分はどこで一番役に立つかを考えたこと。
· 次の世代の日系人のためにもここで頑張りたい。
と結ばれた。

このことはずいぶん高校生には刺激になったようだ。後で書いてもらった感想文を少し整理し紹介する。

· 大学でのいろいろな出来事はほんとうに興味深かった。卒業するのに、11年かかったのは、びっくりしました。でもあらためて、勉強は苦手だけど、大学に行こうと言う気持ちにしてくれました。
· 話を聞いているうちに、自分も鈴木さんのように、人の役に立てる人間になりたいと改めて思うようになりました。そしてそのためには、たくさんの知識が必要な事を知りました。
· 夢をあきらめないでずっと信じ続けていれば叶うということを教わりました。大学の事とかその大変さを教わりました。
· 能力ではなく努力をしていけば、なんでも乗り越えられる可能性があることを教えられました。そして鈴木さんはその努力の日々の中で、色々な人に助けられ支えられ、なに事も我慢ができるようになったのですね。パラグアイの人とのつき合いもすごく大切な事だと思いました。
· 将来の夢がもっと広くなりました。そして自分のやることさえあったら、夢は絶対に叶うものだって言うことがわかりました。
· 話を聞いていて、自分でいろいろと考えるようになりました。自分の将来について、どこで、何をしたいのか。自分も鈴木さんのようにいろいろな壁を乗り越え、経験をいかし、未来の自分に辿りつきたいと思いました。・・・

続いて午後からは一般の方向けに日会サロンで、第3回の「日系子弟の今後を考える会」が開かれた。鈴木さんの出前授業の紹介の後、一緒に来られたOB会の方々もそれぞれが短い話をして下さった。特に金沢さんが身振り手振りを混ぜながら、間違ってニワトリのひよこと一緒にそだった鷲の子が、やがて大空を飛べるようになるまでの話をスペイン語で話して下さった時は、会場にいたパラグアイ人のお母さん方も沸き立って、とても喜ばれた。

これで4稿にわたった、「日系子弟の今後を考える会」パラグアイ・イグアスでの試みを終了する。

2009年も、アスンシオンからの「出前授業」は3ヶ月に一度程度だが、「日系子弟の今後を考える会」は続いている。それ以外は、3月から始まった高校生への毎週土曜日の授業では、出来るだけ、イグアスの地元から農協組合長、日本人会長、JICAボランティアなどに来ていただいて地元版「出前授業」を実施してきた。

現実に生きている人の話は、教師の授業より彼らにインパクトを与えているように私は感ずる。高校時代の模索を通して、やがて彼らは人生という大海原に漕ぎ出すのだ。

「出前授業」と「日系子弟の今後を考える会」を通して、これまでやってきたことが、一人ひとりの、かけがえのない人生という名の航海を成功に導いてくれることを、私は願ってやまない。

 

© 2009 Kunio Oyama

アスンシオン 教育 イグアスの滝 パラグアイ 河川
このシリーズについて

数十年前に首都アスンシオンに電気技術者として、その後家族を呼び寄せてパラグアイへ移住した大山氏。現在は、家族とともにイグアス移住地で生活を送る。そんな彼が、このシリーズを通して、イグアス移住地の現状を個人の体験談を通して紹介するシリーズ。

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執筆者について

1949年7月31日 茨城県に生まれる。19歳で聖書の地イスラエルに渡り、キブツでヘブライ語を習得後ヘブライ大学で「ユダヤ思想史」を学ぶ。中退して後イギリス、フィンランドに私費留学、英語、フィンランド語を習得。日本に帰国して結婚、その後、南米パラグアイに移住。スペイン語を習得。六男一女に恵まれる。一旦日本へ帰国したが、再移住し、現在はイグアス移住地において日系人の教育環境整備のために奔走している。

(2009年7月 更新)

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