ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/9/17/tanabata/

ロサンゼルス「七夕祭り」 その1: 2つの夢の出会い

第69回二世週日本祭に、例年の各種展示やイベントに加え、今年初めて「七夕祭り」が開かれた。計250もの七夕飾りを、全米日系人博物館とロサン ゼルス現代代美術館前の広場に飾ったもので、飾りの制作には、南加の各県人会など日系社会の各団体をはじめ、日系以外からも、実に多くの団体や家族が加 わった。また、どちらかと言うと、これまであまり接触のなかった数々の日系団体同士や、あまり交流のなかった人種同士、あるいは、あまり会話のなかった家 族同士を結び付けたという点でも、きわめて画期的なイベントだった。

「南加宮城県人会」会長の米澤義人さんの長年の夢がかなった形だが、こうして、実現に 漕ぎ着けるまでに実に多くの人々の理解と協力が必要だったことは言うまでもない。それでも、後に「ロサンゼルス七夕祭り実行委員会」の委員長となる「小東 京防犯協会」のブライアン鬼頭さんと米澤さんとの「出会い」がなければ恐らく何も始まらなかっただろう。その意味で、二人の「出会い」は何よりも大きかっ た。それは言わば、二つの「夢」の「出会い」でもあった。

宮城県加美町(旧・中新田町)出身の米澤義人さんがロサンゼルスで七夕祭りを催したいと思うようになったのは、もうだいぶ前の話である。米澤さんは 1956年、26歳の時に、インペリアルバレーで農業を営んでいた叔父を手助けするため渡米したが、その後、南加宮城県人会の活動でたびたび宮城を訪れ、 さまざまな支援を県から、あるいは仙台市から受けてきた。そうしたことから、「故郷への恩返し」の気持ちで、七夕祭りをロサンゼルスで催したいと思い続け てきた。

もち論、その夢を一人で実現することはできない。それをだれに託せるか。米澤さんは長年思案していたが、いろいろ日系社会での活動を新聞や 雑誌で見たり、人から話を聞いたりしているうちに、「風月堂」のブライアン鬼頭さんに当たってみようと思い出した。「この人なら、腹を割って頼めば、何と か力になってくれそうだ」と思ったという。それまでまともに話したことは一度もなかった人だが、とりあえず七夕飾りがどんなものか見にきてもらおうと、米 澤さんは宮城県人会のピクニックに鬼頭さんを招待することを思い付いた。ピクニックでは七夕飾りを家族で作って飾る。米澤さんは鬼頭さんに会うため、小東 京の「風月堂」に出向いた。昨年の六月のことだった。

鬼頭和一さんの「願い」

鬼頭さんはその時、近くの「小東京交番」にいた。小東京防犯協会の拠点であり、鬼頭さんはその会長を務めている。

その時のことを思い出してまず、鬼頭さんは「3年前に亡くなった親父と同じものを感じた」と話す。親父というのは、南加岐阜県人会の会長だった鬼頭和一さんのことである。

和一さんは饅頭という伝統的な和菓子作りに長年携わっていたこともあって、日本文化を心底誇りとしていた。店は小東京の一街にあり、二世週 祭は毎年楽しんでいた。和一さんは、青森からねぶたが来るというので、その年の祭りを特に心待ちにしていたという。しかし、和一さんがねぶたを目にするこ とはついになかった。

ブライアンさんの母親は7年前に死去しており、父親の死去で、「これで面倒をみる年寄りがいなくなってしまった」と、寂しさを覚えていた。 そんな折、米澤さんがブライアンさんに夢を持ち込んだのだ。いきなり「交番」に来て「俺の夢を聞いてくれ」と話す米澤さんに、ブライアンさんは深く感じ入 るものがあった。

その時、ブライアンさんには「父親の願いをかなえてあげたいという気持ちがまだ余韻のように残っていた」という。日本の伝統的な祭りを心底 楽しむ、そんな願い。それをかなえてあげたいという「夢」。米澤さんの話に共感する素地がブライアンさんの中にあったのだ。ブロークン・イングリッシュで 熱っぽく語る米澤さんの姿が、帰米二世の和一さんの姿と重なっていく。

まず、宮城県人会のピクニックにおもむき、七夕飾りを見た。宮澤さんが家族で作ったという話を聞いて、感心したという。それだけではなかった。

鬼頭さん(左)と米澤さん(右) 写真提供:岡田信行

「自分の中には、英語の文化を深く受け入れた側面と、父親から受け継いだ側面、つまり、日本文化を誇る側面とがある。七夕は、そうした二つ の側面を自分の中で統合させるだろうという感触があった。日本的なものと日系的なものとを一つにしたいという思いがあったために、『この人と一緒に何かす ることで、それがかなえられるかもしれない』と感じたのかもしれない」

そうした思いを胸に、計画を実現するための会合が3月に始まった。それから毎週水曜日の夜、有志や関係者らが「交番」に集まり、話し合いを重ねた。鬼頭さんはいつしか米澤さん夫妻を「じーちゃん」「ばーちゃん」と呼ぶようになっていた。

その後、鬼頭さんは計画支援者と資材の購入などで宮城に行き、七夕飾りで南加宮城県人会にたびたび協力してきた「白松がモナカ本舗」の白松 一郎社長にも会ってきたが、鬼頭さんと米澤さんとの出会いがなければ、この祭りは実現しなかったかもしれないと思うと、人と人との出会いの妙を感じざるを 得ない。

ちなみに、米澤さんの奥さんは結婚前、しばらく「風月堂」で働いたことがあり、そうしたことからも、鬼頭さんと米澤さんとは、「牽牛星」と「織姫星」のように、何か見えない糸で結ばれ ていたのかもしれない。

(c) 2009 Fukuhara, Inc.

© 2009 Yukikazu Nagashima

アメリカ ロサンゼルス カリフォルニア フェスティバル 七夕 二世週祭(イベント) 日系アメリカ人 祭り
執筆者について

千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)

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