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沖縄出身者のパワーと絆をミュージカル「尚巴志(しょうはし)王」に見た

2009年、北米沖縄県人会(Okinawa Association of America, Inc.)は、創立百周年を迎えた。その記念行事の一環として、沖縄から招聘され、ロサンゼルス郊外のレドンドビーチパッフォーミングアーツセンターで8月28日に開催されたのが、ミュージカル「尚巴志王 琉球王朝建設の父」である。

尚巴志王とは、それまで北山、中山、南山と3つに分かれていた沖縄を琉球国として1429年に統一した、初代の琉球国王である。在位中には、王宮としての首里城の拡張整備を果たし、中国、日本(15世紀当時は外国だった)、朝鮮や南方諸国との交易の発展に力を尽くした。

私は沖縄出身ではないが、過去にアメリカにおける沖縄出身者を取材した縁で、北米沖縄県人会の関係者に今回の公演に招待していただいたのだった。

実際に目にしたミュージカル「尚巴志王」は、沖縄出身者にとっての「郷土のヒーロー」である尚巴志王を主役に据え、エイサー、太鼓、男踊り、女踊り、獅子舞、空手から現代音楽、さらには沖縄の人々が移民した先のハワイアンフラとのコラボレーションまで、実に沖縄芸能の集大成とも言える作品だった。

プロデューサーで演出家の平田大一氏は「尚巴志王は、沖縄の人々に真にポジティブな影響を与えた最初の歴史的人物。その情熱的な沖縄の伝統を、彼をモチーフに今後の世代にも伝えていきたい」と、創作の意図について語っている。

舞台も熱ければ、客席も熱かった。平田氏を中心とする沖縄からの一団に加え、ハワイや地元ロサンゼルスからも出演者が合流、客席は家族を応援する北米沖縄県人会関係者で埋め尽くされた。

客席の通路には北米エイサー隊の若者たちが立ち、太鼓を手に力強い演奏を繰り広げた。客席に座ったまま、何人もの人が演奏に合わせて手を宙に踊らせていた。

最後は、沖縄の歌「花」を出演者と客席とが一体になり合唱した後に、スタンディングオベーションによる喝采が贈られた。筆者の胸にも熱いものがこみあげた。会場で感じられた、郷土沖縄を歌とダンスで体現したパワフルなパフォーマーたちと、遠く離れても故郷を思うアメリカの沖縄出身者たちの絆が、私の心を大きく揺さぶったのだ。

舞台には、王家を表す「尚」の漢字が描かれた大きな垂れ幕が下がっていた。琉球を統一した尚巴志王の精神は、沖縄の人々の心を今もつないでいる。会場は、まさに小さなウチナーンチュ大会のようだった。

過去、沖縄出身者を取材したのは、私自身の素朴な疑問がきっかけだった。「なぜ、アメリカにはこんなに沖縄出身者が群を抜いて多いのか」ということだ。取材を進めるにつれ、資源の貧しい島から機会を求めてハワイへ、さらにアメリカ本土へと移り住んだ人々が多かったこと、先達の成功を手本に移民が加速していったことがわかった。そして、海外に出た沖縄出身者同士は、手をつなぎ協力して、互いを支えてきたことも知った。その郷土愛の深さと情熱は、取材協力者全員から確かに伝わって来た。

アメリカの中の沖縄 」の記事を書いた後、今回の公演に招待してくれた沖縄県北米駐在事務所の当銘さんに同行して、実際に沖縄を取材する機会に恵まれた。エイサーを世界に広めたいと願う沖縄市の東門美津子市長、泡盛を日本中で流行させた土屋實幸さん、モズクブームの仕掛人の沖縄県庁の玉那覇靖さんら、興味深い方々(どの方も例外なくエネルギッシュだった)に引き合わせてくれたのも当銘さんだが、その一連の「沖縄の今を知る」流れで、健康食としての琉球料理の専門家、琉球大学名誉教授の尚広子さんにもお会いした。

取材を前に、当銘さんが「尚先生は、世が世なら琉球王家の王妃だから」と言った時、沖縄の歴史に無知だった私には正直、ピンと来なかった。しかし、今ならわかる。彼女は、琉球国が消滅した後も現在まで続く尚家にお嫁入りされた女性、つまり今回のミュージカルの主役の末裔の配偶者に当たるのだった。無知とは実に恐ろしいものである。

沖縄からの一団、ハワイ、ロサンゼルスからの参加者が一体となって演じた「尚巴志王」の舞台。

© 2009 Keiko Fukuda

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