ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/4/22/kenjinkai/

三重県人会に「徴兵」されて

1989年6月3日、シャーリー・タキガワとの結婚を機に、私はいつの間にか三重県人会の永久メンバーになっていました。私の家族は、母方が山口 県、父方が鳥取県出身という構成でしたが、結婚と同時に「三重県軍」に引き抜かれた訳です。私の三重県人会とのかかわりは、当初、ピクニックへの参加や毎 年恒例の食事会参加などといった楽なものでしたが、行事の手伝いをしてほしいという義母からの申し出を受け、状況は変わっていきました。義母は、若手メン バーの参加が増えれば、県人会の運営はずいぶん楽になるだろうと考えていたのです。私は三重県人会についてほとんど何も知りませんでしたし、「県」という 言葉の意味すら知りませんでした。知っていたのは、三重県の有名な真珠貝採取に従事するダイバー(海女)のことだけでした。当時の私は、三重県人会は日本 語を話す年配者の会で、アメリカ生まれで英語を母語とする私のような若者には縁がないと思っていました。それでも私は、良き義理の息子として、そしてタキ ガワ家と妻を尊重し礼儀を尽くすため、その申し出を受けることにしました。

ボランティア活動にかかわっているとよくあることですが、私の県人会での役割もすぐに増加するようになりました。まずはゴルフトーナメント大会の手伝い、次にピクニックでの料理やゲーム運営、最終的には、英語が必要とされる会合で、代表者の任務を務めました

当初は、ボランティア活動を大変な仕事と感じましたが、時が経つにつれ、ピクニックに出かけることや人々とふれあうことを楽しむようになりました。 自分の子供たちがピクニックに興じ、年配の方々がゴルフを楽しむ姿を見て、とても満ち足りた気持ちになりました。県人会とのかかわりの中で最も素晴らしい 経験は、シャーリーの両親を含め、家族みんなで三重県を旅し、休暇を過ごしたことです。三重県に住むタキガワ家の親戚と会い、たくさんの楽しい食事の席を 共にし、酒やビールを酌み交わしました。私たちは、伊勢神宮という有名な神社を訪れ、F1レースが行われた鈴鹿サーキットで小型のサーキットカートに乗り ました。また、世界でたった一組の結婚した岩「夫婦岩」を見に出かけ、素晴らしいご馳走を食べながら温泉の素晴らしさも満喫しました。

3年前、三重県人会は、シゲオ・タカヤマ氏の惜しみない尽力を得て、三重県交換留学プログラムを立ち上げました。私の娘と甥も2週間に渡って三重県 に滞在する好機に恵まれました。これは、彼らにとって素晴らしい人生経験となり、人としても成長する機会でもありました。娘は、「あの2週間は人生の中で 最高の経験の1つで、今でも日本への愛着を持ち続けている」とよく言います。三重県人会のお陰で私個人の人生も豊かになり、それ以上に、子供たちに貴重な 経験と伝統を知るきっかけを与えてくれたことに感謝してやみません。

現在の三重県人会は年配者のメンバーが多く、35歳以下の若い世代の参加なくしては存続が難しい状況にあります。若者はアメリカ文化に同化され、個 々の活動で手一杯になるあまり、古き伝統に趣をおく会の活動には、あまり必要性を感じていません。かつて県人会は、社会的、経済的役割を持つ機能として、 そして日本人移民を恐れ、偏見をいだいていた外部社会から身を守るための共同体として、人々に必要とされていました。開拓者として渡米した一世は、県人会 をよりどころにし、アメリカでの成功を目指していました。現在の私たちの暮らしは当時とは全く異なっています。三世のほとんどは日本語を話さず、それぞれ の家庭生活に多忙な日々を送っています。彼らにとって、日本語を母体としたグループから得る恩恵というものはほとんどありませんし、日本についてもイン ターネットや休暇中の旅行から得る知識のみで、単なる外国の地という程度の認識しか持っていません。現在、私たちがアメリカで快適な生活を送っているの は、一世の人々が払った犠牲や彼らの決意の賜物であることを、私たちは見落としてしまっているのです。また、私たちの存在の基盤を形作っているのは、我々 のルーツであることも、認識できずにいるのです。

県人会として取り組むべき課題を明白にすることは簡単ですが、実際にそれを成し遂げることは容易なことではありません。伝統と文化の真価を伝えてい くために、若い人々を県人会への参加を促すことが、我々の課題なのです。若者が、先人の勇気と祖父母が払った犠牲を認識するようになれば、県人会の必要性 を見直すことができるでしょう。いかなる旅にも出発点があり、最初の一歩を踏み出す唯一の方法は、自身の原点を知ることにあります。先人が残した足跡の上 に今日の我々の成功があり、そのことに感謝せず、自分たちの伝統を見失ってしまうことは、大きな誤りとなるでしょう。未来を担う人々に県人会が与えられる ものは多く、その中には自分が何者でどこから来たのか、知る手立てがあります。リレー競技に例えれば、若い世代にバトンを引き継ぐ準備は整っているので す。今必要とされているのは、彼ら自身が競技に参加し、豊かな伝統を勝ち取ることなのです。

©2009 Dean Hara

コミュニティ 県人会 三重県人会
執筆者について

セールス・マーケティング・エグゼクティブのディーン・ハラ氏は、南カリフォルニア大学で理学士(B.S)を取得後、同大学で経営、マーケティング、金融 を専門的に学び、M.B.A(経営管理学修士号)を取得しました。ハラ氏は、販売、マーケティング、ビジネス開発の分野で25年以上の実績を積んできまし た。現在、三重県三世会の会長でもあるハラ氏は、若い世代と真摯に向き合い、三重県人会の活動を15年以上支え続けています。

(2009年4月 更新)

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