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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/06/25/peru-nisei-kyokai/

「ペルー二世協会」 - ナカダさんの新たな挑戦: 戦後渡米者らの本国帰還も

日系ペルー人の話は、ニュースとしては、第二次大戦時の強制収容補償の問題とのからみで取り上げられることが多いが、現在ロサンゼルス郡など南カリ フォルニアに住む日系ペルー人の大半は戦後の移住者らで、ほとんどが戦時収容補償の問題とは直接かかわりがない。そうした人たちのグループとして1981 年に「ペルー二世協会」が発足したが、約15年後に自然解散。その後は、それぞれの地域で小規模の集まりを持っている程度だ。そんな状況の中、「ペルー二世協会」の創始者で初代会長を務めたアレックス・ナカダさん(69)は、かつてのメンバーらに連絡し、新たな企画での「活動」に向け再び動き始めた。一部では本国帰還の動きも出ているという日系ペルー人。「ペルー二世協会」の15年間を振り返りながら、日系ペルー人らの今後を考えてみた。

40家族でスタート

ペルーからの日系人の米国移住は戦前にもあったが、本格的には戦後間もないころに始まった。移民の第一世代と呼ばれる彼らの大半は、米国で学問を収めるのが渡米の主目的だった。その後の1960年代の第二世代となると、どちらかと言うと仕事目当ての移民が増える。ともにペルーの日系二世だ。ナカダさんが渡 米したのは1961年で、第二世代にあたる。

ナカダさんは沖縄からペルーに移住した家族の息子としてリマで生まれた。13歳の時に父親が死去。兄が2人いたが、ナカダさんも家計を助けるために、中学を出るとトラックの運転手として働いた。米国に渡ったのは、戦時中米国に強制連行され、戦後米国に残った親戚の勧め。ロサンゼルスに来て、まず高 校卒の資格を得てからカレッジに進み、ビジネスを学んだ。

その後、ロサンゼルス・ダウンタウンにあった日系の冷凍水産食品製造会社「フィッシュ・キング」に職を得た。そのころ従業員の大半はまだ日本人だっ たが、ちょうどメキシコ人を雇い始めたころで、スペイン語と日本語ができるナカダさんにはラッキーだった。しかも、社長が働きぶりを評価してくれ、とんとん拍子に昇格。約15年後には製造部門のマネージャーになっていた。そうしたことから、「何か自分でできることで、社会に還元したい」と思うようになっ た。

そこで気付いたのが、日系ペルー人の会がまったくなかったこと。早速、それまでに知り合った友人らに連絡し、日系ペルー人の会を作るということで、 ハシェンダハイツにあるナカダさんの家に集まってもらった。それを踏まえて「ペルー二世協会」が成立。スタート時に早くも40家族以上が加わった。

会の主な目的は親睦だが、子弟への教育的な効果も狙った。ちょうどそのころ、米国生まれの子供たちの多くが中学生や高校生になっていたが、あまりスペイン語を話さない彼ら同士が交流できる場を作り、互いにスペイン語を話すようになってもらいたい。そんな狙いだった。

活動は多岐にわたった。新年会、ピクニック、運動会、母の日の集まり、ペルーの独立記念日を祝うパーティー、そして、ビザの問題に対処するために弁護士を呼んでセミナーを催したり、医学の専門家を呼んで米国の医療制度について説明してもらったり。「頼母子」で経済的に支援し合ったりもした。また、阪神大震災やペルーの地震の際には義援金を集めて送ったり、ペルーへの日本人移民百周年を記念して建造が計画されていた病院へ寄付を送るなど、社会的な活動も展開した。寄付は、運動会など各種のイベントで売った福引などの純益の積立金から充てたものだった。

会は順調に伸び、最盛期には250家族がリストに名前を連ねるまでになった。

拡散化の流れの中

しかし1989年、ナカダさんを不幸が襲った。妻の死去、その3週間後に母親が他界した。傷心の中、ナカダさんは以前から考えていた会長職の委譲を図る。それまでに何度も選挙を提案したが、その都度「続投」の指名。しかし、今回はとても続けられる心境でなかったという。

1991年、新会長が選ばれ、その後、もっと大勢の人たちに門戸を広げようと、名称を「ペルー日系協会」と変更した。しかし、その時までに、すでに協会としての勢いが弱まっていたのも事実だった。そのために違う世代の人たちを迎え入れようとしたとも言える。

活動が下火となっていった一つの大きな要因は、日系ペルー人の「拡散化」だ。日系米人の拡散化で、ロサンゼルスの日本人街、小東京にかつての勢いがなくなっていったように、日系ペルー人の拡散化の影響は大きかった。ロサンゼルスという都市そのものの拡散化も遠因となった。

日系ペルー人はそれまで、ロサンゼルスのダウンタウンを中心に、比較的まとまって住んでいた。日系ペルー人が所有するアパート・ビルに、何人もの日系ペルー人が住んでいたケースもあった。

しかし、生活が安定し、より良い住環境を求めてどんどん郊外に移転するなどした結果、集まるのが次第に難しくなっていった。また、専門職についたり ビジネスを始める人が増えるにつれ、集まるのにみんなが都合のいい時間というのが段々限られてもきた。それに、Eメールだけで物事を決めていったりする傾向も出てきた。ナカダさんは「会としての熱意や興味が次第に低下していった」という。活動は先細りとなり、1990年代中盤、ついについに同会は自然消滅 した。

現在は、ロサンゼルス近郊のガーデナ、ウエスト・コビナ、サンファナンドバレーなど、それぞれの地域に住む日系ペルー人同士が集まっているが、二世協会とは異なり、活動のほとんどが不定期で、比較的小規模なものにとどまっている。その中でも最も大きいガーデナ地区のグループは約100人がリストに名 前を連ねているが、かつてペルー二世協会のイベントにも参加したことがあるリーダー格の一人ロシオ・ヤマシロさんは、「私はレストランを経営しているの で、なかなかグループのために十分なことができない。誰かグループを引っ張ってくれる人がいたら」と話す。

「帰還」の条件揃う

ナカダさんが現在考えているのは、かつてのペルー二世協会のメンバーらの再組織だ。かれらの多くが60年代に米国に来ており、そろそろ引退の年齢に 差し掛かっているか、引退している。すでに、そうした人たちに声を掛け始めた。基本的にはまた一緒に集まって、いろいろな活動をするのが趣旨で、取り敢えず二つの大きな活動を考えている。一つは旅行、もう一つは、ペルーへの「帰還」も視野に入れた祖国訪問、それに関する情報交換や助け合いだ。

こうしたシニア組の再組織は、自らの経験に基づいた発想だった。旅行については妻と母親の相次ぐ死去で自分を失っていた時、3週間スペインを旅したことで、元の自分をかなり取り戻したという経験。それで、今の妻のヒサコさんと出会うこともできた。旅行で親睦を深めながら、いつまでも若い心で頑張ろうという狙いだ。

ペルー帰還の話については、ナカダさんの妹夫婦の体験がある。

妹夫婦はペルーの経済状況が極めて悪かった1980年代に渡米。ナカダさんの紹介で、夫婦とも「フィッシュ・キング」に職を得た。そして早めに引退。その後、時間を持て余すような毎日だったが、ペルーに帰り、義弟はゲートボールの紹介で多忙に、妹はリマの日秘会館でアートを教えるようになって、米国で失いかけていた自尊心を取り戻したのだ。

そんな話もあったので、ナカダさんは以前リマ購入していたアパートを直して、ベッドも入れて昨年そこでしばらく時を過ごした。「家に戻った」という実感が胸の底から湧いてきたという。それで、もっとペルーで過ごす時間を増やしたいという気持ちになったのだった。

孫への考慮もある。ナカダさんには現在、3人の孫がいる。今年の2月にペルーで行った下調べを踏まえ、6月には孫をペルーに連れて行って、学校に入れるつもりだ。

1960年代の渡米組がかなりペルーに帰っているという事情もある。そうした人たちが3年前「リユニオン」をペルーで催したが、米国からはナカダさんを含め計9人が参加、すでに帰国してペルーで暮らしている人たちからいろいろな話を聞いた。

ナカダさんは「ペルーの経済は今、かつてないほど落ち着いている。医療費もペルーの方が安い。アメリカの年金でペルーならかなりいい暮らしができ る。そうした状況が『二世のペルー帰還現象』を生んでいる」と見る。ペルーからの訪問客も絶えないナカダさん。将来は年間の3分の1をペルーで過ごしたい という。そうして、米国とペルーの両国に腰を据える。そこに、たとえば教育面で若い人たちを支援していくとか、ビジネス面での交流を作っていくとか、観光 での相互訪問を活発化していくとか、そうした社会的に有意義な活動をしたいというナカダさんの気持ちがうかがえそうだ。

米国生まれの若い日系ペルー人たちは、どんどん米国社会に同化していくが、ペルーと米国を股にかけたナカダさんらの新たな活動は、若い日系ペルー人らの心に何かを訴えかけずにはおかないだろう。

© 2009 Yukikazu Nagashima

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執筆者について

千葉市生まれ。早稲田大学卒。1979年渡米。加州毎日新聞を経て84年に羅府新報社入社、日本語編集部に勤務し、91年から日本語部編集長。2007年8月、同社退職。同年9月、在ロサンゼルス日本国総領事表彰受賞。米国に住む日本人・日系人を紹介する「点描・日系人現代史」を「TVファン」に連載した。現在リトル東京を紹介する英語のタウン誌「J-Town Guide Little Tokyo」の編集担当。

(2014年6月 更新)

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