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マンザナーへ、そしてマンザナーから

第1回 「さらばマンザナー」から始まった私の長い旅

「さらばマンザナー(Farewell to Manzanar )」は、ジーン・ワカツキ・ヒューストンさんがマンザナー収容所 での自らの体験をもとに書いた小説です。後に歴史教育の一環として、カリフォルニア州の学校教材としても採用されました。この小説によって、多くのアメリ カ人が戦争中に日系アメリカ人が強制収容された事実を知ることになりました。

「さらばマンザナー」を読むまで、私自身、アメリカの日系人の歴史について知る機会がありませんでした。日本の歴史については関心がありましたが、 日系アメリカ人について知る機会があまりなかったのです。そんな私が、あるきっかけで「さらばマンザナー」を読んだことで、これからは日系アメリカ人の歴 史を一生懸命学ぼうと決めたのでした。

読んでいる時はその内容に驚かされることばかりでした。言葉を失うほどの悲しみに襲われることもありました。ジーンさんのお父さんはFBIに何ヶ月 も身柄を拘束されたために、ジーンさんはお父さんの不在のまま一家でマンザナーに収容されたのです。収容所で後に再会したとき、お父さんはやつれ果てた姿 で杖をついていました。FBIに拘束されていた間に不当な扱いを受けていたのです。

特に悲しい気持ちにさせられたのは、収容されていた人々がアメリカへの忠誠心を確認する目的で質問される場面です。質問にどのように答えるかという 議論で、収容所の人々が激しく争っていたことを知りました。収容されてもアメリカ政府を支持する人々、また奪われた人権を回復するために政府を支持しない 人々の間に亀裂が生じ、それはフレッド・タヤマさんへの暴行事件につながりました。タヤマさんは、政府への支持を表明するように働き掛けたので、反対派の 反感を買う結果になったのでした。「さらばマンザナー」の中では、生活面で有利になるだろうという考えで、ジーンさんのお父さんがアメリカ政府への支持を 訴えている時に喧嘩に巻き込まれ、ジーンさんがその場面を目撃してしまいます。

読み終えた後、戦争ほど残酷なものはないと私は思いました。戦争で一番被害を受けるのは一般市民です。平等と正義を美徳とするアメリカが、いとも簡 単に強制収容という手段に出たことにも怒りを感じました。さらに、戦争を仕掛けた当時の日本の指導者に憤りの気持ちも禁じ得ませんでした。もしも、日米戦 争がなければ、強制収容もなかったのではないか、と考えたからです。

マンザナーには、アメリカで生まれた日系人だけでなく、日本生まれの日本人も収容されていました。言い換えればマンザナーは日本人の歴史の一部でも あります。私は本気でマンザナーのことを知りたくなりました。百聞は一見に如かず、ということで現地に向かうことに決めました。この旅が、私自身の進むべ き将来を決めることになりました。日系アメリカ人の歴史を自分の身体で体験しようと誓いました。

次回は、初めてマンザナーを訪問した時のことを書きます。

© 2008 Takamichi Go

manzanar

このシリーズについて

2002年にアメリカへ留学し、『さらばマンザナール (原 題:Farewell to Manzanar )』との出会いで、日系史に目覚めた郷崇倫(ごう・たかみち)氏による、コラムシリーズ。自身の体験談を元に、日系史について語ります。

(* Signature image from Wikipedia.com by Daniel Mayer. )