ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1578/

インタビュー

山口 淑子

新一世ソーシャルワーカー(1931年生)

ソーシャルワークを学ぶきっかけ

もう一度学校に行き直して何かをやらないと、とけしかけられて、UCLAに初めはオリエンタルランゲージの方にアプライしたんです。ただまあ、グラデュエートスクールにそのまま入ったんですけども。で、子どもは近所の方にピックアップしてもらったりして、時々、子どもが怪我してはなんとかって、大変なこともありましたけれど、なんとか続けようとしたんですが、オリエンタルランゲージでは英語は第二外国語という風に認められなくて、それ以外にチャイニーズ、フランス語かドイツ語か、とにかく外国語をもう一つ取らないと、そしてフルーエントのテストに通らないと、あの、ディグリーが取れないということを言われましたんで、これはちょっと大変だなと思って。

その時に私の妹が、多分、私のことですけど、「よっちゃんは人の世話が好きだったからソーシャルサービスの方に移った方がいいんじゃないかと思う」というようなことを言ったんですね。で、彼女の方がこちらでは、学校も経験してますから、そうかもしれないと思って、科を変えることにしたんです。

で、ソーシャル、グラデュエートスクールのオリエンタルランゲージをそうですね、1年半くらいやりましたかしら。今度はソーシャルワーカーの方に行くつもりで、ソーシャルウェルフェアにアプライしたら、ちょうどラッキーに入れましたので、で、それもたまたま、スカラシップを申請したらスカラシップももらえて、子どものベビーシッターのあれがもらえて良かったと思ったのを覚えています。それと、いわゆる授業料も無料、あれだったんですね、あの、払わなくていいということで、大変感謝したのを覚えております。


日付: 2015年8月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1931年1月3日兵庫県西宮市に生まれる。1959年、アメリカで結婚していた妹夫婦を手伝うために渡米。その際に現在の夫と知り合い結婚。以来、アメリカで生活をしている。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校にて社会福祉について学ぶ。現在は、ロサンゼルス近郊のコミュニティセンターなどで、市民権取得のためのクラスを教えてる傍ら、日本文化の継承や社会福祉など、様々な活動に携わっている。(2018年 4月)

恩智 敏子 エレナ

ペルー人子弟にとって、日本の学校に通うことの挑戦と試練(スペイン語)

在日日系ペルー人

ロバート・ナカムラ

突然の悟り (英語)

映画プロデューサー(1936年生)

A. ウォーレス・タシマ

海兵隊に所属(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

パナマで幼稚園に通う

戦争花嫁(1925年生)

ミツル・”ミッツ”・カタオカ

ロードアイランドで直面した住宅差別(英語)

日系アメリカ人デザイナー、教育者、メディアテクノロジー先駆者(1934-2018年)

ミツル・”ミッツ”・カタオカ

映像から写した最初のプリント(英語)

日系アメリカ人デザイナー、教育者、メディアテクノロジー先駆者(1934-2018年)