バート・ナカノ

政治活動家 (1928-2003年)

打ちのめされた誇り (英語) 補償運動への参加者の増加 (英語) ワシントン政界の説得 (英語) 大衆の力 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

バート・ナカノ氏は、1928年、ハワイ州ホノルルに生まれました。戦時中に強制収容されたハワイ在住の日系人はごくわずかでしたが、ナカノ氏一家は、ハワイで身柄を拘束され、合衆国本土の強制収容所に送られました。当時14歳だったナカノ氏は、アーカンソー州のジェロームに拘留され、その後カリフォルニア州のツールレイク収容所に移送されました。

結婚し、シカゴと日本で働いた後、ナカノ氏は南カリフォルニアに移り住みました。ナカノ氏は強制収容の事実に長い間憤りを感じ、また戦後多くの日系人が日系のルーツを恥じる風潮にも反発を感じていました。

1976年、ナカノ氏は、大学生だった息子の後押しで、彼自身も強い問題意識を感じていた問題に取り組むため、草の根活動団体、「Little Tokyo People’s Rights Organization(リトル・トーキョー人権協会)」に加わります。この団体は、ロサンゼルスの再開発事業計画に反対の立場を取っていました。なぜならその開発計画は、低所得者や中所得者層の日系人、そして家族経営の小企業の存在を脅かすものだったからです。

1978年、ナカノ氏は、第二次大戦中強制収容されていた日系人への賠償を求めるため、「補償を求めるロサンゼルス市民連合」の立ち上げに協力しました。そして1980年、ロサンゼルスの連合は、全米の各地域に根ざした団体と共に、「NCRR(補償を求める全国連合)」を組織しました。ナカノ氏は、9年間にわたってNCRRのスポークスマンを務め、その間NCRRは、日系議員や退役軍人、日系アメリカ人市民同盟などの団体や個人と協力し、正義を求めて共に活動しました。バート・ナカノ氏は、2003年に亡くなりました。(2008年4月15日)

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