ディスカバー・ニッケイ

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賠償金請求の必要性 (英語)

(英語) ヘンリー(ミヤタケ)とショウスケ(ササキ)は断固とした意志を持っていました。私が個人賠償、つまり賠償金請求の正当性を確信できたのは、彼らの説得があったからです。

謝罪はもちろん必要な行為ですが、それを裏付けるためには、金銭の支払いも不可欠なのです。私の頭の中から離れない言葉に、「アメリカ式の正義」というものがあります。つまり、私たちは被害や損害を報告するためだけに裁判所へ行くわけではなく、それには常に、賠償金の支払いが伴うのです。ビル・マルタニ氏の発言にもあるように、交通違反で切符を切られた場合、裁判所で違反行為を謝罪すれば全て解決するわけではありません。たとえ謝ったところで裁判官は「謝ってくれればもういいですよ。」とは言ってくれません。私たちの国の制度として、賠償金の支払いがあるのです。

(ヘンリーやショウスケが)このような考え方を取り上げ、私に話をしてくれたことで、私も少しずつ賠償金請求の意向を受け入れられるようになりました。私自身もそうだったように、当初、日系人の多くは金銭の請求を良しとしていませんでした。何かが間違っているように思えてならなかったのです。私たちはどういうわけか、賠償金の請求を、施しを乞う行為と捉え、強制収容という過去に金銭的な値段をつけることのように感じていたのです。


ショウスケ・ササキ ヘンリー・ミヤタケ リドレス運動

日付: 1997年9月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: ベッキー・フクダ、トレイシー・ライ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

チェリー・キノシタ氏は、1923年ワシントン州シアトルに生まれました。十代の頃、キノシタ氏はワシントン州ピュアラップ集合センターに拘留され、その後アイダホ州ミニドカ強制収容所に収容されました。強制収容所での2年半、彼女は収容所新聞『ミニドカ・イリゲーター』紙の記者を務めました。

1970年代、キノシタ氏は米国日系人市民協会(Japanese American Citizens League)シアトル支部を拠点に、積極的に補償運動にかかわるようになります。彼女は多くの場で貢献しましたが、そのひとつに、ワシントン州選出議員に対し、第二次大戦中の日系人への不当措置について啓蒙し続けた 草の根 活動があります。政治家を相手にする時、彼女の最大の武器となったのは、粘り強さと辛抱強さでした。1979年、最初の日系人補償法案が、ワシントン州選出議員によって提出されたのは、特記すべきことでしょう。

キノシタ氏は、補償運動のための支援機関として、主要な日系団体のうち16団体の提携を取りまとめました。補償運動の最中60歳になったキノシタ氏は、ワシントン大学で社会学を専攻し、優等の成績で文学士号を取得しました。 (2008年4月15日)

グレース・ウエハラ

収容所の補償運動の達成と教育(英語)

(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。

アート・シバヤマ

日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

賠償金について(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

ミツオ・イトウ

カナダでの補償運動(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

Asian Americans for Actionへ参加してよかったこと(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

収容所経験のない一世に対する補償運動(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

時期を見計らって始めた補償運動(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

ジャック・ハージック

集団訴訟によってまとまった日系コミュニティ(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)

デール・ミナミ

二世が戦中体験を語るきっかけとなった賠償運動の役割 (英語)

弁護士 (1946年生)

デール・ミナミ

コレマツ裁判が現代社会に与えた影響 (英語)

弁護士 (1946年生)

スー・エンブリー

考え方の変化(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

正義への戦い(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)