ディスカバー・ニッケイ

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沈黙と自然体で立ち向かう儀式(スペイン語)

(スペイン語)今の私に、音楽はもうありません。大好きだった音楽とは完全に離れたのです。私には、音楽の音ではなく、静かな空間と沈黙が必要なのです。これはとても大事なもので、言葉を忘れてしまうくらいの無の世界です。陶芸家として無心で粘土に立ち向かいたいのです。でも、それは簡単なことではありません。本当に難しいことなんです。 ここ数年は、ビデオやオーディオ、ビデオ、文学的作品の制作、そしてそれに対する解説文の作成など、パソコンの前に座ってアシスタントと共に作品の編集を行うことが主な仕事でした。でも、やはり自分の手で素材の感触を感じながら何かを創るというのは大事なことだと思っています。哲学の世界から離れた時はそれを目標にしていました。手を通じて、粘土という素材を通じて何かを伝えたいと思ったのです。 完全沈黙というのは、私には必要なものなんです。非常に重要なことです。落ち着いた環境なしにはやなり仕事はできませんし、いいものは造れません。また、リズムというのも必要なことだと思います。自分の癖や習慣、または技術や仕事のルーチンを続けること、朝早く起きて粘土を煉ったり、折り紙を折るといった決まった行為を繰り返すことです。私は蟹しか折れないのですが、熟練した折り紙作家のようになりたいとは思わないのです。ただ蟹を折って他の難しいことを忘れたいのです。時には、同じ蟹でも何回も折っているうちにその順番を忘れてしまうこともあります。瞬間的にあまり考えずやることで、関心も薄れるのです。 仕事についても同じ方法で臨もうと思っています。ルールやその手法にこだわらないようにするんです。もちろん、陶芸家として分量や粘土の煉り方など知ることは必要です。調理するのと同じですよね。ただ、それとは反対に、私がいつも弟子やアシスタントに言うのは、一番大事なことは釜の温度に耐えられる粘土づくりをする事だって。そのような粘土づくりができなければこの30年間の仕事と修行は無意味なのです。釜の火がすべてを試すのです。私のエゴも消しますし、私の傲慢さやそこで何かを支配できるというおごりも消してくれるのです。 作品は一つ一つ自分の手で造られ、その手は一つの身体にくっついており、頭があり、その頭にはアイデアが浮かびます。なにかをしたいという一人の人間がいるのです。でも釜の火というのはそうした支配感を吹き飛ばしてくれるのです。すごく重要ですね、これは。私は自分の作品を、煉った粘土を火で支配したいと思ってきましたが、でもその火はなにもコントロールできないと教えてくれるのです。


日付: 2007年12月7日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

カルロス・ルンシエ・タナカ氏は1958年、ペルーのリマで生まれた。大学では哲学を専攻し、その後陶芸家として活動をはじめた。そして、ブラジル、イタリア、そして日本で陶芸を学んだ。国内外にて共同展示会、特に現代アートの展示会へ、出展している。現在、複数の国の美術館やプライベイト・コレクションとして保有されている。 1981年より、ラテンアメリカ諸国、アメリカ、日本及びイタリアなどで個展をひらき、ここ数年の間は、日本やアメリカの大学で客員教授として鞭をとっている。研究や展示会に加え、1978年以来自身の工房で作品を作りづつけており、地元の陶土を使用し、その仕上げは1.300度のガス釜で焼き、自然に溶け込んだ機能的・実用的な作品をつくってきた。 2007年11月には、第35回目の「日本文化週間」の企画として、リマ市内にある日秘文化会館のジンナイ・リョウイチ・ギャラリーで「禅のお話と十の小さな物語(“Una Parábola Zen y Diez Pequeñas Historias / A Zen Parable and Ten Short Stories)”」という作品を展示した。 同年12月には、ペルー日系人協会の主催ではじめての著書を、前述の作品の名前で出版した。(2007年12月7日)