ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/869/

自己発見を象徴する蟹(スペイン語)

(スペイン語)僕には、蟹との面白い出会いが二回あるのです。一回目は1994年セロアスル海岸のビーチです。ペルーへの日本人移民記念式典がオベリスク(記念碑)の周囲で行なわれ、そこには多くの蟹が流されてきていました。現在そのオベリスクはもう存在せず、もっと近代的でモダンな記念塔がたっていますが、今でも蟹がオベリスクの近くで干からびていたのを覚えているんです。このセロアスル海岸で母や家族とともにビーチを歩き、昼食をとったある日、僕は、浜に引き上げられた人の姿を見た気がしたんです。それはまるでペルーへ移住してきた祖父母の姿のようでした。 なにゆえ蟹で例えたのかといいますと、冬の蟹の行動はとても興味深いからです。冬は波も高く、上潮も激しくビーチのかなり部分も水につかります。ビーチの砂浜も所々水たまりができてそこには小さな蟹がいるのです。一定の期間のみそこに残り、そのうちに泡が立ちます。夏がくるとそうした水たまりは乾き、蟹たちは戻れなくなるのです。 砂浜で乾いた蟹をみたとき、ふっと自分の中で何かが浮かんだのですが、考えてみますとそれまでの生き様がそこに映し出されたような気がしたのです。蟹たちの命は絶えていましたが、あのままをみる限りなんとなく陸に上がろうとしているように見えたのです。この姿が移民の上陸と重なってしまったのです。後に国立博物館で開催された私の展示会を「移動・移転(Desplazamientos)」と名付けたのですが、そこからくるのであり、蟹を主役にして展示したのです。 もう一つの出来事はパサマヨの浜辺で起きたのです。このビーチは、祖父が亡くなったアンコン海岸の隣にあるのです。私も波にさらわれた苦い経験を持っているのですが、幸いにもその高波や泡からなんとか抜け出せたのです。波は次から次へと押し寄せ、一瞬に気を失い、ふっと気づいたら砂浜で蟹に囲まれていたのです。このことで祖父がセロ・アスルのオベリスクにいたことを記憶していたのです。そして、このアンコン浜辺で命を落としたことを甦ったのです。なんとなく近い出来事であり、でも遠い過去の出来事でもあり、まぎれもなく関連性をみたのです。この事件以来、祖父の遺影を青蟹の前に置くことにしたのです。どうみましても、蟹と祖父との関係は確実であり、具体的なものなのです。


日付: 2007年12月7日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

カルロス・ルンシエ・タナカ氏は1958年、ペルーのリマで生まれた。大学では哲学を専攻し、その後陶芸家として活動をはじめた。そして、ブラジル、イタリア、そして日本で陶芸を学んだ。国内外にて共同展示会、特に現代アートの展示会へ、出展している。現在、複数の国の美術館やプライベイト・コレクションとして保有されている。 1981年より、ラテンアメリカ諸国、アメリカ、日本及びイタリアなどで個展をひらき、ここ数年の間は、日本やアメリカの大学で客員教授として鞭をとっている。研究や展示会に加え、1978年以来自身の工房で作品を作りづつけており、地元の陶土を使用し、その仕上げは1.300度のガス釜で焼き、自然に溶け込んだ機能的・実用的な作品をつくってきた。 2007年11月には、第35回目の「日本文化週間」の企画として、リマ市内にある日秘文化会館のジンナイ・リョウイチ・ギャラリーで「禅のお話と十の小さな物語(“Una Parábola Zen y Diez Pequeñas Historias / A Zen Parable and Ten Short Stories)”」という作品を展示した。 同年12月には、ペルー日系人協会の主催ではじめての著書を、前述の作品の名前で出版した。(2007年12月7日)