ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/689/

真珠湾攻撃後に解雇された日系アメリカ人の鉄道労働者たち (英語)

(英語) FBIについてですけれど…まず、父がグレート・ノーザン鉄道の郵便の職場に行くには、ユニオン・パシフィック鉄道とミルウォーキー鉄道の路線を潜って行かなければなりませんでした。その路線はちょうどスポケーンまで来ていて、グレート・ノーザンはユニオン・パシフィック駅の1ブロック北の橋の上にあったんですね。駅まで行くためには、橋の上まで登らなければならないし、職場に行くには橋の下を通って行かなければならなかったんです。そしたらFBIがある日やって来て、「だめだよ。橋の下を通ってもらっては困るよ。君らが橋を爆破しちゃうんじゃないかって思うじゃないか。」と言われたんですね。結局日系人は全員解雇され、フェリーチェ、マンチェニー、クラークといった数人のイタリア系の職員が残ったんですよ。それから別の職員も新しく雇ったらしいのですが、結局彼らだけではやっていけず、郵便物は正しい送り先に届けられることなく国中のいろんなところに送られたりして機能しなかったそうです。それで、確か30日位経った後日系人は全員呼び戻され、郵便物はまた元通り正しく郵送されるようになったんです。


人種差別 対人関係 差別 第二次世界大戦 鉄道

日付: 2006年3月15・16日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: メーガン・アサカ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジョージ・ヤマダ氏は、1923年ワシントン州スポケーンで生まれた日系二世です。同地には両親が経営するワールド・ホテルがあったため、幼年時代もそこで過ごしました。父親は(ホテル経営の他に)グレート・ノーザン鉄道で郵便係としても働きました。ルイス・アンド・クラーク高校、ワシントン州立大学に就学。戦争中、日系アメリカ人を乗せてワイオミング州ハート・マウンテンの収容所に向う電車が、スポケーンを通り過ぎていくのを見たのを覚えているそうです。1944年、陸軍に徴兵され、ミネソタ州フォートスネリングおよびカリフォルニア州プレシディオの陸軍情報部語学学校に従事しました。第2次世界大戦後は、ニューヨーク北部地方とその近郊で初生雛鑑別師(しょせいびなかんべつし)として30年間働き、1970年代半ばにスポケーンに戻り、不動産業に従事しました。現在は妻のスージーと共にスポケーンに住み、釣りに励んでいます。(2006年3月16日)

ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ヘンリー・シミズ

真珠湾攻撃の影響の少なさ (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

ヘンリー・シミズ

大戦中のカナダ在住の日本人漁師らの扱い (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

1949年に選挙権を獲得した日系カナダ人 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府によってサポートされた邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ベナンシオ・シンキ

幼年期の記憶:日本人1、日本人2 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本人移住地に対する仕打ち (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

沖縄出身者への差別 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

愛国心 VS. 忠誠心(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

PJ・ヒラバヤシ

子供のころ体験した差別(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督