ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/535/

ペーパーナプキンに描いた絵(英語)

(英語) 絵を描き始めたのは丁度ピアノを始めたころか、それより少し前だったかもしれません。外食にいくと、よく両親は私にペンとナプキンを持たせていたんです。基本的に私を大人しくさせるためでした。ペンと描くものを持たせておけばいいって気づいたんです。私はまだ小さかったので、みんなより早くに食べ終わってしまい、両親が座っている間も落ち着きなくあちこち引っかきまわしたり、すぐウロウロしたがったんです。でもペンと描くものを持たせておけば、とたんに大人しくなって両親も問題なく夕食を済ませることが出来たんです。実用的な理由からでしたが、私が絵を好きなことに両親も気づいていたようですね。ペンさえ持っていれば、ずっと絵を描いていましたから。


アート アーティスト 描画 グラフィックアート

日付: 2006年1月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マイケル・ケンジ・シノダはカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるアゴーラヒルズで日系アメリカ人の父と白人の母親の元に生まれ育ちました。3歳の時、ピアノを習い始めたのが音楽との出会いです。高校、大学時代は、友達とともにXeroという名のバンドを組んでいましたが、同じ名前のバンドが既に存在していたため、バンド名をHybrid Theoryと変更。最終的にLinkin Parkの名前に落ち着きました。2000年には最初のアルバムをリリース。以来、Linkin Parkの活躍は目覚しく、2002年には「Crawling」でグラミー賞最優秀ハードロックパフォーマンスを受賞、2006年にはJay-Zとのコラボレーション「Numb/Encore」でもグラミー賞(最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション賞)を受賞しました。

2005年、シノダはFort Minorのプロジェクトをたちあげ、初のソロアルバム『The Rising Tied』をリリースしました。これは自ら作曲・プロデュースしたヒップホップのアルバムです。このデビューアルバムの中にある「Kenji」は全米日系人博物館を訪れたのをきっかけに作った曲です。第2次大戦中に収容所経験のある親戚から話を聞き、父親と叔母のインタビューの一部を歌に組み入れています。

また、カリフォルニア州パサデナにあるArt Center College of Designで学んだ彼は、音楽のキャリアのほかに、視覚芸術の分野でも活躍しています。Linkin Parkの出版物やウェブサイトのデザインなども手がけており、Linkin ParkやFort Minorのアルバムカバーのデザインも彼の作によるものです。

このように多くのプロジェクトを手がけているにもかかわらず、慈善事業にも多数参加しています。母校のArt Center College of Designで奨学金を立ち上げ、さらにはユナイテッド・ウェイ、Denshō 、Make-A-Wish Foundation、全米日系人博物館のような団体もサポートしています。2005年に行われた、ロサンゼルスでの二世ウィーク祭のパレードにも参加。2006年には、彼のアメリカ文化へのクリエイティブな貢献に対し、全米日系人博物館から賞を受賞しています。(2006年10月19日)

キップ・フルベック

アジア系アメリカ人として中国系の名前を使うことを拒否(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

エリック・ナカムラ

若いアーティストの足がかりとしての『ジャイアント・ロボット』(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

グレース・アイコ・ナカムラ

いつも絵を描いていた (英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

イワオ・タカモト

アーティストになる夢

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)