ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

ケニー・エンドウ

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

伝統からの脱却(英語)

(英語) アメリカの中だけではなくて、日本国外にある太鼓グループはより自由ですね。伝統と繋がることにも何かがあるし、伝統から自由になることにも何かがあるんですよ。僕の場合は革新のための基礎として伝統を取り入れているんですね。僕からしてみると、自由なものというのはきちんとした基盤がないことが多いんですね。必要なのは、何らかのきちんとした基礎を踏まえることや、土台なんです。そして時として厳格な伝統は人を縛り付けてしまうので、創作の本当の自由は奪われてしまうんですね。だから伝統的であることは全ての人に向いている訳ではありません。私にとっては、伝統は革新への基礎なんですね。土台なんですよ。現実的なものとして僕はこの芸術の新しい音楽を作る素晴らしいやり方を見つけたんです。


日付: 2005年3月11日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: ソージン・キム、アーノルド・ヒウラ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ケニー・エンドウ氏は国際的に知られた和太鼓奏者で、現在は太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(ハワイ州オアフ)の芸術監督です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ育った彼は、もともとジャズ、フュージョン、ロックバンドでドラムやパーカッションを叩いていました。1975年に組太鼓に出会ったのをきっかけに、太鼓を学び、ロサンゼルスの緊那羅(きんなら)太鼓やサンフランシスコ道場で演奏するようになりました。

1980年、彼は日本へ渡り、以後10年間、助六太鼓、諏訪太鼓、御陣乗(ごじんじょ)太鼓、秩父太鼓の先生のもとでそのスタイルを学び、邦楽囃子の名取りを許された初の外国人となりました。以後、さまざまなジャンルの音楽家たちと共演し、太鼓奏者としてまた太鼓の先生として国際的な活動を続けています。(2005年3月11日)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

手作りの太鼓

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓哲学

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

太鼓のスタイルの違い

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

アメリカに住むことの利点

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

太鼓コンテストを通して育まれるグループとしてのアイデンティティ

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

日本文化の伝統としての太鼓の音

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

田中誠一

桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)