ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/382/

友達と遊んだ人種差別ゲーム(英語)

(英語)強制収容所を出た後、私たち一家はシアトルへ戻りました。当時私は、「ジャップ(日本人)を殺せ」というゲームを好み、よく遊んでいました。家の裏庭の隣には遊び場があり、父が材木の切れ端をたくさん置いていたので、私は友達と材木を組んで小屋のようなものを作り、ジャップが落とす爆弾から自分たちの身を守る避難所のように扱っていました。そしてもちろん、誰もジャップ役なんてやりたがりませんでしたから、誰がやるべきかいつも口論になっていました。私たちはみんな最高のジャップ・キラーだったジョン・ウェイン役になりたがっていました。実は、ヘルメットや銃、あらゆるものを持って戦争ごっこをしている当時の写真が残っているんです。ジャップ役はみんなが順番にやっていたんですね。


日付: 2003年3月18・20日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、マユミ・ツタカワ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ロジャー・シモムラ氏の絵画・版画・舞台作品はアジア系アメリカ人の社会政治的な問題を題材にしています。これらの作品の多くは移民として渡米した故祖母が56年間にわたって綴った日記からアイデアを得ています。自作の絵画・版画の個展を100展以上も開催しており、ニューヨークのフランクリン・ファーネス、ミネアポリスのウォーカー・アートセンター、ワシントンDCのスミソニアン協会国立アメリカ歴史博物館などを拠点とし実験的な舞台作品を紹介してきました。また、教育者としても広く認められており、カンザス大学で特待教授(Distinguished Professor)になりました。さらに、アメリカ美術史学会は、4年間に渡る全米12の博物館で開催された巡回展『アメリカン・ダイアリー』の功績を称え、2001年に最優秀芸術作品賞を授けました。

シモムラ氏個人の書類などはスミソニアン協会アメリカン美術古文書館に保管されています。また、ニューヨーク.、シカゴ、カンザス市、マイアミ、シアトルのギャラリーで彼の作品を見ることができます。

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

アート・シバヤマ

ペルーへの帰国が不可能ゆえに英語を習得(英語)

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フランク・ソギ

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フランク・ソギ

日本国の再建(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)