ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/260/

写真花嫁と「仮夫婦」 (英語)

(英語) 面白い話があるんですよ。写真花嫁といえば、当時多くの人が仮夫婦といって「一時的な夫婦」として(ハワイへ)渡って来たんです。母は父と出会った後、両親によって日本へ送り返されていたので、彼と結婚するためにもハワイへ戻りたかったんです。だから、母は父と結婚するために妹の婚約者を借りて、夫婦としてハワイにやって来たんです。それが仮夫婦です。私の本を見たら、とても興味深い話が載っていますよ。誰でもいいから一時的な夫婦として(ハワイへ)やってくるわけです。もちろん、同じ船室を使わなくてはいけなかったんですけど。でも、こっちに着いたら、仮夫婦たちは別々になってそれぞれの道を行くわけです。彼らは離婚申請を提出します。

男性にとっては仮夫婦がカリフォルニアへ行く足掛かりになるんですよ。というのも、一旦ハワイに足を踏み入ればカリフォルニアに行くのはより簡単でしたから。彼らにしてみれば仮夫婦なんて何でもないことだったんです。タニモト夫人も仮夫婦として渡航してきた一人だと思います。彼女はハワイに着くとすぐに仮の夫と別れたので、彼の名前すら覚え出せないと言ってました。彼は本土に行き、彼女は後にタニモト氏と結婚したんです。そういうわけで、離婚はすごくたくさんあったんです。私の写真花嫁の本を見た誰かが当時の離婚率の高さについて述べていたけれど、それは本当の意味での離婚ではなかったわけですよ。


花嫁 移住 (immigration) 移住 (migration) 写真花嫁 妻たち

日付: 2004年2月19日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)

ジーン・アリヨシ

写真花嫁に送る写真を修正する父 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

カズオ・フナイ

米国での最初の仕事

一世実業家(1900-2005)

カズオ・フナイ

東京の会社が焼失

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

父方と母方の家族関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

スティーブ・カジ

FOB - 新参者 (英語)

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

日本の印象(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

ウェイン・ヨコヤマ

雑誌社での就職(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

ロイ・H・マツモト

広島県の学校にいた帰米のクラスメート達(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

ロジャー・シモムラ

渡米後の祖母の差別体験(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

ロジャー・シモムラ

写真花嫁として渡米した祖母(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

条約商人としてアメリカへ入国した母(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

両親がカナダへ渡航した理由(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)