広島からの脱出(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私はいつも、自分の人生にはトラウマになる出来事が3つあったと思うと人々に話しています。もちろんこれがその1つ、最初の体験です。道路にたどり着いた時、はっきりとは分かりませんが、50人、100人もの信じられないほどの大怪我を負った大勢の人がいました。四肢が折れていたり、あまりにひどいやけどを負い、体から皮膚がただれ落ちている人々がいました。内臓がお腹から外に垂れ下がり、それを支えている人が何人か、私が見た限りでは少なくとも1人はいました。何人かはすでに地面に倒れていて、水が欲しいと懇願していました。死の直前はひどく喉が乾くと言われています。人々は、「水を飲んだら死んでしまうから水をやるな」と言っていましたが、どのみちそうした人々は亡くなりました。その頃までに、道には死体がずらりと並んでいました。

私たちは大虐殺の海をくぐり抜け、どのくらいの時間かは分かりませんが、30分かもしれないし、1時間かもしれないし、何時間もかかったかもしれませんが、炎に包まれた市からようやく抜け出し、重傷を負った大勢の人々から逃れ、まだ機能していた駅にたどり着きました。そして電車に乗って可部という地域に住む親戚の元に向かったことを覚えています。そこには遠縁の親せきがいました。私たちは戦争が終わるまでそこに身を寄せました。

日付: 2019年9月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 三木 昌子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

a-bomb atomic bomb hibakusha hiroshima trauma World War II

ディスカバー・ニッケイ「トークイベント」シリーズに関するアンケート

アンケートに答える >>

絆2020:ニッケイの思いやりと連帯―新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて

ストーリーを読む >>
あなたのストーリーも募集してます!

勝敗を超えて: ニッケイスポーツ

10月31日まで投稿を受け付けています。.

「ニッケイスポーツ」への投稿作品を読む >>

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館

主な援助
日本財団