戦後の父の理容院(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)戦後、父は理容師になりました。何か商売を始めてみようと、収容所にいる時考えたのでしょう。父は収容所の中で理容を学び、私たちより先に収容所を出てサンフランシスコに戻り、理容学校へ行きました。理容師の資格を取得し、見習いとして働く準備ができ、対日戦勝記念日の約1月前に私たちはサンフランシスコに戻りました。

幸運にも私たちには帰る家がありました。家を出た時とほとんど何も変わらない状態でした。父は、唯一開店していた理容院で見習いとして働き始めました。ロイ・アベの見習いになりました。しかるべき実習期間を経て、ちょうどお菓子屋さんがあった場所で、父はニセイ・バーバーショップを開業しました。

父は、昔は私をボウルカット(マッシュルームカットより後ろが短い)にしていました。収容所から戻った頃は、男の子たちはもう少し長めの髪型をしていたので、私は父に髪を切られることをひどく恐れていました。丸刈りにされると思ったからです。でも、それは免れることができました。

ちょっとおかしかったのは、当時私は、アニメーターになってロサンゼルスのスタジオで働くと父に言っていたのですが、「理容学校にも行くといい。資格をとれば万が一の時の保険になるからね」と言われたことでした。

日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

Barber father post-war san francisco

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