大学に通うために収容所を出る(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)私は、収容所から解放された最初の一人だったと思います。希望者はたくさんいましたが、海陸両軍、FBI、身元保証機関とその自治体、受け入れ先学校の6か所から許可を得る必要がありました。最初に許可が下りたのは、学校に行くことが決まっていた人たちでした。

アメリカ・フレンズ奉仕団の委員会が、私たちが学校に行けるよう懸命に支援してくれました。戦時転住局は、全米の主な都市に事務局を配置していました。私がスプリングフィールド大学に行ったのは、YMCAの訓練校だったからです。私は、真珠湾攻撃の少し前からYMCAの活動を初めていました。日系人のYMCAを始めたのは1941年の6月だったので、勉強を続ける良い機会だと思いました。収容所を出られることをうれしく思いました。

日付: 2005年3月4日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: フローレンス・オチ、アート・ハンセン、西村陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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