日系カナダ人強制収容所(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語)僕がこの世に生を受けたのは、真珠湾攻撃の少し前でした。その後、ご存じの通り太平洋戦争が始まりました。僕はまだ小さな赤ん坊で、母親の腕に抱かれていましたが、カナダ政府の宣言により敵性外国人とされました。その結果、僕はヘイスティングス・パークの馬屋に母親に抱えられて行くことになりました。そこには西海岸沿いに住む22,000人の日系カナダ人が一時的に集められていました。日系コミュニティの土地や家は奪われ、日系人はブリティッシュコロンビア州内陸部に建てられた強制収容所に収容されました。西海岸の穏やかな気候の中で平和に暮らしていたコミュニティが、突然内陸部の過酷な環境に追いやられたのです。

僕ら一家が収容されていたタシュメの写真を見ると、掘っ建て小屋が何列も並んでいます。その小屋は生材、つまり生木でできていました。冬になると雪に埋もれ、巨大なつららができました。二家族に一軒の小屋があてがわれ、人々は凍えていました。カナダの西海岸でののどかな暮らしに比べて、厳しい環境での生活でした。その後、収容者の中にはアルバータ州南部のテンサイ農場に行くことになった人たちもいました。白人の労働者を戦争にとられ、深刻な労働力不足が起きていたからです。

その時の状況を書いた文章があります。ジョイ(コガワ)は実に力強く描写しています。僕もたくさんの人にインタビューをしましたが、彼らはこのように語っています。「いやはや、奴隷制に逆戻りしたかのようだった。駅に着くと家族ごとに並ばせられ、白人の農場主が来て品定めをするわけだ。若くて健康的で体格が良く、頑丈な息子のいる家族だけが連れて行かれた。年老りや小さい子供のいる家族はとり残されることが多かった」奴隷制さながらの歯や体を見る、というようなことですよね。衝撃的な光景です。

日付: 2011年2月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: パトリシア・ワキダ、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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