ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1253/

高まる戦争の気配 (英語)

(英語) 米国領事館は私に、米国に帰った方が良いと言った。なぜかと尋ねても、とにかく米国に帰った方が良い、と。何かが起きているということは明らかだった。電車に乗っていても、兵士がよくやって来たから。日本の兵士は荒っぽくて、全然優しくなかった。怖がられるような存在だったわ。1938、39年のことよ。私はそれまで何も感じていなかったけど、米国領事館に帰国した方が良いと言われて、感じるものがあった。港を無事に渡った最後の船に乗れたのは、幸運だったわ。


日付: 2011年5月24日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

スミコ・コザワ氏は、1916年ロサンゼルス生まれ。五人兄弟の長女であり、第二次世界大戦前は日本で3年間、琴や生け花、茶道を学ぶ。家族が経営する、シルバーレイクの「トーキョー・フローリスト」は、新鮮な花々を適当な値段で買えるためハリウッドの地域で人気だった。スミコ氏はお店を手伝う中で、有名な無声映画スター、グレタ・ガルボを含む多くの人々に出会う機会を得る。日本が真珠湾を爆撃すると、スミコ氏と家族はマンザナへと送られる。スミコ氏はそこで家族、祖父、妹の世話をした。コザワ氏は、2016年12月、100歳で亡くなりました。(2016年12月)

ロイ・H・マツモト

アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロバート・T・フジオカ

ホテル経営をできるよう育てられた祖父(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)

ロバート・T・フジオカ

第二次世界大戦中の祖父の取り調べ(英語)

ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)