インタビュー
入会当時の宮城県人会の活動
やっぱり、あの、一世の人たちですか。そういう人たちいたのに、二世の年取った人たちで少なくなってますから、昔とはだいぶ変わってます、もう。えぇ。でも、今ね、去年、21年ぶりで、ほら、ピクニックやったんですけど、だけど、何世になるのかな、奥さんが、うちの弟のワイフっていうのがね、まだハワイの二世だか三世だか、そこの子どもたちの孫が来ましたよね、そういうの。で、うちの場合は、ワイフから数えていけば、孫が五世になるわけですよ。だけど、僕が一世かって言うと、そう言っちゃあいけないんだけどね。で、あの時ね、あのー、うちの子、大きな県人会じゃないんだけど、100人ぐらい来ましたかね、えぇ。
うちらの場合は、東北人のせいかね、あのー、金もそうなんですけど、そうじゃなくて、みんなにいかに、集まってもらって、援助してもらえるかとか考えてんですよね。だから、それだけ頭の回転悪いんだかも知れませんね、宮城県人は。特に、東北人中でも。そのせいか何か知らんけど、あの、ある程度の金があるんだったら、皆さんにおあげして、援助してあげたらどうかなっていうようなかっこでいく点があるんじゃないかなって思うんですよね。
日付: 2007年5月8日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 渡辺 美津江
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター