インタビュー
働きながら家族をサポート
えぇ、こっち、ロサンゼルスに来たんですよね。で、2年か3年ぐらいアダルトスクールか、家出してから、覚えておって、そのうちに、あの、お前、そのままで行くんだったら、だいたいほら、おじさんとこから、お金もらうことできないでしょ。で、自分でやんなきゃいけないから、食っていかなきゃいけないですよね。で、それあったのと、あの、お前、年が年だから、結婚したらいいんだがって言うんで、結局結婚しちまったら、今度ほら、サポートしなきゃいけないでしょ。で、うちのがね、あのー、お父さん、パートタイムで働いて、あんた学校に行けって言ったんですよ。で、それで、結婚してまもなく子どもできたでしょ。だから、ワイフそんなに使うことできないでしょ。で、結局働いたわけですよ。だから、運よくね、友達の紹介だので、UP(United Postal Service)に入ったわけですよ。
UPでも、僕、あの、言葉知らんかったら、あの、使えんと思ったんだけど、そのー、読めるんは読めるし、それから、あの、荷物の入れ分けだったら構わんって言って。入れたらいいでしょ、僕んとこ。ただあれ、当時のね、マネージャーが、あのー、日本人ものすごい好きな人だったんですよね。ですから、僕ら、あの、あのー、あそこのハーバーフリーウェイとナインスとオリンピックのあるプラントで働いたんですけど、あそこにいる時ね、日系人だけですよ、あの、土曜日に働くの。7人来るのが決まってるんですよ。で、他のやつは全然使わないんですよ、他の人間。もちろん、その時、あの、人種もそんなにいませんでしたからね。
日付: 2007年5月8日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 渡辺 美津江
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター