ブラジルの日本人街 -- 第5回 ピニェイロス地区-斜陽の日本人街-
ピニェイロス地区-斜陽の日本人街-根川 幸男 サンパウロ市とその周辺には、「日本人街」と言われたいくつかのエリアがあった。戦前から戦中にかけて、いわゆる「コンデ界隈」と呼ばれたエリアが日本人街としてはもっとも大きかったが、ついで日系人口が集中していたのはピニェイロス地区であり、200人ほどの日系人が居住していたとされている(半田, 1970, p.573)。その次が市立中央市場の周辺で、通りの名を取ってカンタレーラ街と呼ばれていた(地図5-1参照)。
1927年12月にコチアをはじめ、ジャガレー、モーロ・グランデなどサンパウロ近郊農村の日系ジャガイモ生産者らによって、「有限責任株式会社コチアバタタ生産者産業組合」が設立された。後に南米最大の農業協同組合となるコチア産業組合の誕生である。この組合の事務所と倉庫がピニェイロス地区のバタタ広場にできたことによって、雑貨商、飲食店などの日系商店、旅館・ペンソンが店を開けるようになった。1933年には、同エリア最初の日系団体であるピニェイロス青年会が創立され、同年尚武館という柔道場も開かれた(ACEP, 2005, p.18)。日系人の居住も、カルデアル・アルコベルデ通り、テオドーロ・サンパイオ通り、ピニェイロス通りなど、サンパウロ中心部へ向かって広がっていくこととなった。 出稼ぎストラテジーの強かった当時の日系人の教育ストラテジーについてはすでにふれたが、エスニック母語学校としての教育機関の存在は、集住地すなわち日本人街をつくる大きな条件となりえた。岸本昂一によって市中心部に近いコンソラソン通りに創設された暁星学園が、1934年に新校舎および寄宿舎をピニェイロス地区のミゲル・デ・イササ通りに新築し移転してきた(暁星学園報, 1939, p.17)。同学園は、全日制の教育部や寄宿舎のほかにチントゥラリア・アウローラという洗濯店を経営し、学資に乏しい日系子弟をそこで雇用し夜間に学ばせる勤労部という独自のシステムを持っていた。また、1938年に大正小学校ピニェイロス分校が建設され、サンパウロ州内陸のバストスから来た田中夫妻によって授業がはじめられた(ACEP, 2005, p.20)。
期待通り、ヤオハンの出足は快調そのもので、あらゆる商品が飛ぶように売れ、人気は人気を呼んで、朝の開店前は人垣で埋まって、女子店員たちは、薄グリーンの正装で玄関入口に整列、喜びと感謝の拍手で顧客を迎え入れるなど、ヤオハン商法は図式通りに当ったのである。」(月刊セクロ, 1977年4月, p.49) しかし、1976年にはサンパウロ市内に4号店をオープンするも、翌年石油ショック後のインフレのため業績不振。あっけなくブラジルから撤退することになる。かつて南米最大の農業協同組合といわれたコチア産業組合が67年の歴史に幕を閉じたのは、1994年のことであった。 カーザ水本創立者の一人である水本清(水本毅の末弟)は、ピニェイロス日本人街の衰退について、雑誌のインタヴューに次のように答えている。
2006年末、筆者はピニェイロス地区のバタタ広場周辺を歩いてみた。広場付近は現在、ファリア・リマ大通りの地下鉄工事の騒音が響きわたり、車両や人びとの通行がとだえることがない。一本奥に入ったフェルナン・ディアス通りには、雑多な商店にまじって、二軒の日本食レストランと日系らしい雑貨店が営業しており、「CASA ONO」という文字を掲げた倉庫を見ることができる(写真5-2, 5-3)。地下鉄駅が開通すると、この様相もまたじきに変わっていくのだろう。今やますます発展していく同地区の中で、ピニェイロス日本人街は、日系古老たちの語りの中にその夢の痕跡をとどめるだけのようであった。
参考文献 コチア産業組合中央会刊行委員会(1987)『コチア産業組合中央会60年の歩み』コチア産業組合中央会刊行委員会 半田知雄(1970)『移民の生活の歴史-ブラジル日系人の歩んだ道-』サンパウロ人文科学研究所 AMARAL, Antonio B. do(1985) Pinheiros (3a. ed.) . São Paulo, DPH. Associação Cultural e Esportiva Pirarininga(ACEP)(2005)Pirarininga, 50 Anos: Uma História da Geração Nissei. São Paulo, ACEP. 雑誌記事 「緊急追跡!ヤオハン遂に破れたり」『月刊セクロ』7号 セクロ出版社(1977年4月) 「夕陽のにあうピニェイロス」『Viva1サン・パウロ』Ano II-No.5(1996年6月) 根川幸男(ねがわ・さちお): ブラジリア大学外国語・翻訳学部助教授。1996年からブラジル在住。専攻分野は移民史・比較文化研究。最近は、ブラジルの日系・アジア系教育機関の形成史に関心をもっています。 このコラムシリーズはRSS購読可能です。根川氏の最新のエッセイを入手するために、右上にある『ブラジルの日本人街』をクリックし、ページ下のオレンジのボタン「XML]をクリックしてください。RSSに関する情報はこちらを参考にしてください。 本稿の無断転載・複製を禁じます。引用の際はお知らせください。editor@discovernikkei.org © 根川 幸男 |





