日本の皆様へ―日本語によるコラムについて

投稿者:my visit to manzanar 日付:木, 03/15/2007 - 03:35

日本の皆様へ、また日本語を学習している皆様へ、

日本語による日系アメリカ人に関するコラムを始めましたので紹介します。
是非訪れてください。

第1回目:ツーリストスポットに宿る感動モノの事実

URL http://d.hatena.ne.jp/manzanar_jpns/20070309

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成田空港を発って9時間が経った。

目にしみるくらいまぶしい朝日とともに、窓に映っていたのは赤いアメリカの大地だ。もう目的地であるロサンゼルスに着くのだ。

ロサンゼルスに着いたとき、私はこれからしばらくの間、南カリフォルニアはオレンジカウンティーにある観光地を色々とまわってみようかと思っていた。

ディズニーランド、ナッツベリーパーク、エンジェルスタジアム、それにサウスコーストプラザ。

想像しただけでもうきうきしてしまう。まるで、子供のときのように、何か面白いものが待っていてそれで寝つけない様な感じなのだ。そう、私がこれから足を運ぶオレンジかウンティーは楽園(パラダイス)なのだ。正直なところ、死ぬ気で遊びほうけようと心に誓っていたのだ。

そう色々と考えていると、現地で駐在員をやっている友人がやってきた。そして、しばらく厄介になるその友人の住むアパートに向かった。友人は、仕事の関係上数ヶ月前からオレンジカウンティーで仕事をしている。最近になって、やっと生活が落ち着いたのでとても嬉しいのだという。その友人は、ちょっと前に、私あてのメールで自動車の免許の実地試験が厳しすぎる、とこぼしていたのだ。

友人の車に乗り、405号線と呼ばれるフリーウェイ(高速道路)を使って私たちはオレンジカウンティーのアパートに向かった。南カリフォルニアには相乗り専用の車線(カープールレーン)があるのでとても驚いた。日本ではとうてい考えられないことだ。相乗り車線を利用して友人は車をスイスイと運転する。45分もたたないうちに私たちはオレンジ郡の友人のアパートに着いた。

スーツケースをアパートに残し、そしてシャワーを借りた後、私は友人とともにオレンジカウンティーを車でまわることにした。ひとまず、今日は時差ぼけ対策の為、これといった特別な予定は作らなかった。友人と一緒にぼーっとしていようかと思っていた。

友人の車に乗り15分ほどしただろうか、車はとある学校の前を通過した。タムラ小学校だ。そして、しばらくまっすぐ行ったところにはマスダ中学校があった。不思議だね、、何で日本人の名前が学校の名前になっているのだろうね、と会話していた。

車はさらにまっすぐ東へと進んでいった。フェアヴュー通りから北へ向かうと、今度は面白い名前をした教会を見つけた。

「ウィンターズバーグ長老教会。」

さっきは日本人の名前をした学校があったのだが、今度は日本語の名前がついている教会があるのだ。好奇心の強い私の友人は、その教会に足を運んでみようと言いだしたのだ。「わたし、クリスチャンじゃないし、教会にはいってもしかたがないじゃん」、と友人に文句を言ったのだが仕方なく友人とともにその教会に入ってみた。教会に入ってみると、そこには優しそうなおばあちゃんがいたのだ。友人が事情を話すと、そのおばあちゃんは私たちに日本語で話しかけたのです。

「私ね、ここで生まれてたのよ。そうしたらお父さんが日本にいる叔父さんのところに行きなさい、それで日本に5年間いたの。日本では高等女学校にいたのよ。」、と言いそのおばあちゃんは教会のことを色々と話しはじめてくれたのです。「私の友達のお父さんは福岡の人なの。それで、ハワイに行って、サンフランシスコに行って、それでここにきたの。そのときにこの教会ができたのよ。その頃は、小さな建物だけがあって、菊池先生(菊池賢治牧師)という方がいて、菊池先生が教会の世話をしていたのよ。」

2人はとても驚いたのだ。そういうことを生まれてはじめて知ったのだ。信じられなかったのだ。日本人が100年以上も前にオレンジカウンティーに来て生活をしていたことを。

そうすると、そのおばあちゃんは話を続けたのだ。「昔は、お百姓さんが多かったの。チリ(青唐辛子)や苺を植えていたの。にわとりを育てていた人もいたのよ。」

2人は空いた口がふさがらない思いがした。なにしろ、そのようなことを学校で学んだことが一度もなかったのだ。アメリカに渡った日本人のことなど考えたことがなかったのだ。おばあちゃんのおしゃべりは止まらなかった。

「私がちっちゃいころは、男の子は柔道をやっていたの。それで、柔道をやっていた子たちが東京に行ったのよ。東京で東郷平八郎提督に会って写真を一緒に記念撮影したの。」 そうすると、2人はそのおばあちゃんの話を食い入れるように聞きだしたのだ。東郷平八郎なら社会の時間で聞いたことのある人物だ。確か、ロシアの艦隊(バルチック艦隊)を駆逐したことで知られているはずだ。

そして、さらにおばあちゃんは続ける。「私のボーイ(息子)がプリスクール(幼稚園)に入った頃に戦争(日米戦争)が始まったの。そうしたら、私たちはポストンのキャンプ(ポストン第1収容所)に行ったのよ。戦争がおわって、そうして私たちはここに戻ってきたの。」私は、正直なところ、このおばあちゃんが何を言っているのかがわからなかった。「キャンプ」とは何だろう。

「あの、キャンプって何ですか」、と聞いてみるとおばあちゃんは、「昔はね、私たちは日本人でしょう、日本人は皆キャンプに行くことになったのよ。ガバメント(米国政府)が行けって言うから。戦争だったからね。」

正直、キャンプのことなど知らなかったのだ。まさか、日米戦争のときにアメリカにいた日本人とその子供たちが強制収容所と呼ばれるキャンプに行かざるを得なかったことを知るのはとても悲しいことだ。

そして、おばあちゃんはまた話しつづけたのだ。「戦争がおわったでしょう。そうしたら、私たちはクリスチャンだから、パスター(牧師)が必要だったの。それで、隣町(ウエストミンスター)の教会のパスターだったグレアー(ジョージ・グレアー牧師)さんが来てくれてたの。」2人は、時間の流れるのを忘れておばあちゃんの話を食い入るように聞いていました。

日本人に大人気の観光スポットに、大切な、そしてかけがえのない歴史があったことに2人は感銘を受けたのだ。興味本位で入った日本語の名前をした教会で学校では教わらないことをたんまりと習ったことに2人は驚愕したのだ。最後に、おばあちゃんは、「もしも、興味があれば私のうちに来てくださいね。私のハズバンド(夫)が残した写真とか道具とかがあるから、見たかったらいつでもどうぞ」、といって私たちに電話番号と住所を教えてくれたのだ。

なんて親切な人なのだ。日本中探しても、今の日本人にここまで、それも神様のような天使のような、とても親切な人はほとんどいないだろう。そして、日系アメリカ人の歴史という、学校では教えてくれないことを学んだことに最大の意義があったのだ。ほら、誰でもあると思う。学校では教えてくれないことを学ぶことにスリル感を感じたり優越感を覚えたり。

しかし、それはただの、学校では教えてくれないことではなかった。日本人としてとても有意義なことを学んだ気分なのだ。言葉では表現できないくらい大切なことなのだ。何と説明しようか、それはアイデンティティーの再発見につながるくらい大切なことなのだ。

そのおばあちゃんによれば、さっき車で通過したタムラ小学校はオレンジカウンティーにいて地域の日系アメリカ人コミュニティーの発展に力を尽くした田村久松氏が由来とのことだ。そして、マスダ中学校は第2次世界大戦の際に日系二世部隊の一員として活躍し、仲間を救うために戦死したカズオ・マスダ氏が由来だという。身近なところに素晴らしく、美しい歴史があることに2人は感動した。

帰り道、アパートに向かう車の中で友人が一言私に言った。「ディズニーランドはこんどにしようよ。オレンジカウンティーにはどのような歴史があるか見てみようよ。宝探しみたいだね。」 私も、そう思った。テーマパークに行ったり買い物をすることよりも、テレビのコマーシャルで使われている有名なコピーのような、プライスレスな経験がしたい、と強く思った。

終わり

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後日、また他のコラムを掲載する予定です。
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