Imin-Kenkyukai (2005 Activities)

投稿者:Tomoko Ozawa 日付:月, 09/11/2006 - 06:34

移民研究会
2005年度の移民研究会のおもな活動と発表要旨は、以下のとおりである。

移民研究会編『日本の移民研究――動向と目録』(日外アソシエーツ:1994年)の続編版の作成プロジェクト
(4月16日例会、6月18日例会、7月30日-31日集中作業、10月9日例会、11月26日例会、3月18日例会)
このプロジェクトでは、基本的に1992年9月以降、日本の出版社より刊行された日本人移民・日系人を扱った研究文献(と一次資料)を対象とし、①目録と②解題をまとめます。昨年度につづき、例会と集中作業では、担当テーマの研究発表に加えて、プロジェクトの進め方、文献リスト作成、解題の書き方などについての話し合いを重ねてきました。解題では、研究動向を簡潔に紹介し分析すること、今後の展望をまとめること、ほかの項目へのクロスオーバーにも気を配り、立体的な議論を展開することを心がけるようにしています。研究会以外の場でも、参加者たちがメール等で解題原稿や目録を送り、積極的に疑問点や意見を交わし、目録の精緻化にも努めました。出版社との交渉も進めました。

2005年5月例会(5月30日)
東京大学アメリカ太平洋地域研究センターおよびアメリカ学会との共催
報告者: Dr. Akemi Kikumura-Yano (Japanese American National Museum Director)、西村陽子氏(Japanese American National Museum, Nikkei Legacy Project Coordinator)
演題:“A Special Preview of DiscoverNikkei.org”
司会の飯野正子津田塾大学長の紹介を受けた後、アケミ・キクムラ=ヤノ氏は全米日系人博物館が企画した新しいウェブサイトの意義について語った。2005年3月に誕生したサイト「ディスカバー・ニッケイ――日本人移民とその子孫」(www.discovernikkei.org)は、世界各地の日本人移民・日系人に関するあらゆる情報を発信し、さまざまな人々が積極的に議論を交わす「場」となることが期待されている。このサイトの大きな目的の一つは、異文化理解の促進である。また、移民・日系人に関する史料や情報を提供する窓口としてほかのデータベースや関連サイトへのリンクを提供する世界最大級レベルのサイトとなることも目指すという。とりわけ教育に重点を置いており、とくに学生の利用を考えた構成となっている。このサイトの誕生により「ニッケイ」に関する知的財産の構築には、多様な立場のひとが貢献し得るネット上の環境が整ったといえよう。(文責 小澤智子)

2005年11月例会報告(11月12日)
報告者 Frank Akira Moritugu(ジャーナリスト、コミュニティ活動家)
テーマ How the Japanese Canadian Experiences during the Second World War Differed from That of the Japanese Americans

 カナダ学会と共同で行われた11月の例会では、日系カナダ人であるモリツグ氏の戦時中の経験を中心としたお話をうかがった。
 モリツグ氏は鳥取県出身のご両親の長男として1922年にカナダのブリティッシュ・コロンビア州で生まれた。日本軍による真珠湾攻撃後、カナダでも1941年12月9日に日本語新聞や日本語学校は閉鎖され、日系社会の指導者とされた人々約30名が一斉検挙された。ブリティッシュ・コロンビアには約21000人の日系人がいたが、彼らのカメラ、ラジオ、車、漁船は没収され、夜間外出は禁止された。日系新聞『ニューカナディアン』だけが発行を許可され、日系社会に情報を伝えた。モリツグ氏は同紙の編集者となった。1942年になると一世男性を対象とした部分的立ち退きが行われた。彼らは道路建設のため道路キャンプに送られた。カナダの収容所には、アメリカのそれとは異なり、フェンス、監視塔、有刺鉄線はなく、退役軍人の見張りがいるだけだった。カナダでは、仮収容所はヘイスティング・パーク一つだけしかなかった。収容所では娯楽として野球が行われ、許可があれば近くの町に映画やレストランに行くこともできた。モリツグ氏はマニトバ州アルバータのさとうきび畑で働き、ストの代弁者になった。1944年にモリツグ氏はオンタリオで家族と一緒になった。1945年1月に日系カナダ人は軍に入ることを許可された。戦況が変わり、日本語ができる者が必要となったからである。日系人が社会に受け入れられるために、モリツグ氏も入隊を決心した。当初彼の父親は入隊に反対したが、後に彼も賛成した。入隊した日系人の多くは通訳や翻訳作業に従事した。戦争が終わった四年後に選挙で投票できた。日系アメリカ人は戦後西海岸に帰還することを許可された。西海岸の不動産が売られずにいたため、西海岸に戻った日系アメリカ人は多かった。一方、立ち退きの際に日系カナダ人の財産は没収され、カナダ中に拡散することとなった。モリツグ氏も家族とともに戦後もトロントに居住し続けた。戦後のリドレスを、他のカナダ人に日系カナダ人の経験を知らせるためのものであり、日系人にとってシンボリックな意味を持っているとモリツグ氏は位置づけている。
 モリツグ氏の報告の後、多くの質疑が寄せられ、研究会後の懇親会でも例会出席者との間にさまざまな議論がかわされた。(文責 増田直子)

2006年2月例会報告(2月4日)
「多文化社会日本に向けた可能性と課題:アメリカ、カナダ、オーストラリアの例に学ぶ」
東京学芸大学 菅 美弥

2006年2月4日の例会は、国内外から三名のゲストスピーカーを招き、アメリカ、オーストラリア、カナダの移民・多文化主義についての国際学術講演会の形で開催された(東京学芸大学との共催)。「多文化社会」日本の可能性と課題を考察するため、「移民の国」として知られ、多文化主義の「実験国」である三国における、多文化主義やアジア系(日系)移民をめぐる歴史と現状を知り、比較の視座から議論しようというのが目的であった。
当日は、二つのセッションに分かれ、Session 1: Immigration and Multiculturalism: Cases in Australia and Canadaの中で、まず、レス・テリー氏(ヴィクトリア大学、東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター客員教授)が、オーストラリアにおける多文化主義の問題について講演された。(タイトル“Flags, Beaches and Australian Multiculturalism”)。テリー氏によれば、最近のレバノン系移民に対する白人の若者との対立は、「オーストラリアは誰のものか」というナショナル・アイデンティティをめぐる感情の発露であった。だからこそ、今回の対立の場が「平和」なオーストラリアのシンボルである「海岸=beach」で起きたことの重要性は大きいのである。そして、多文化主義への逆風が吹いている今、「観念的」な多文化主義の議論よりも、実質的市民権 (substantive citizenship)の考えに基づいた政策が必要だという。続いて、記名式史料(longitudinal data)を利用した方法論を使うなどして、先駆的な北米の社会史研究を展開されてきた高井由香理氏(愛知県立大学)が、“Migrants, Illegals and the Canada-U.S. Borderland before Multiculturalism: A Look from Social History Perspective”と題し、20世紀初頭、カナダ経由でアメリカへ移動した日本人移民の「越境」に光を当てた。米加の国境を、日本人移民の移動を通じて生じた国境管理をめぐる米加の対立という「トランスナショナル・ポリティクス」の場として捉え直す研究視座は、「移民」「移住」を巡る歴史研究の新たな展開を感じさせるものであった。
次に、Session 2: Contemporary immigration issues in the U.S. では、エドワード・パーク氏(ロヨラメリーマウント大学アジア系アメリカ人研究プログラムディレクター、フルブライト招聘教授)が、“Probationary Americans: Contemporary Immigration Policies and the Shaping of Asian American Communities” とのタイトルで講演。パーク氏によると、現在、米移民法上の移民に対する優先基準は「家族移民」から、富裕・専門職移民へと変化しており、第二次世界大戦後に人道的な観点から改正された移民法が再び、差別的・制限的なものになっているという。移民法の変化に加え、昨今では永住外国人に対する福祉や医療の切り捨て、母国への強制送還数の増加等が顕著である。自身が移民一世であるパーク氏は、こうした「外国人」対策の変化は、従来の「移民国家」としてのアメリカ―理念であり、また歴史上多大な実益を得てきた―が変貌してしまうことなのだ、と警鐘を鳴らすのであった。
今回の企画は、一国のみに絞らず、比較の視点からアメリカ、カナダ、オーストラリアにおける移民や多文化主義の問題について横断的に考察することで、多くの参加者とゲストスピーカーの間にエキサイティングな知的交流が見られた。事実、各発表後、参加者からは非常に多くの質問が寄せられ、会の終了後にも「多文化社会」日本へのインプリケーションについてなど等、インフォーマルな議論は尽きず、大変活気のある研究会となった。この4月以降の例会も、海外からのゲストスピーカーの講演が目白押しである。移民研究会における国際学術交流が今後益々発展していくことを心から楽しみにしている。