ブラジルの日本人街 -- 第6回 東洋街の形成と発展①-シネ・ニテロイと文協の誕生-
東洋街の形成と発展①-シネ・ニテロイと文協の誕生-根川 幸男 サンパウロ地下鉄南北線のリベルダーデ駅を出ると、派手な看板をかかげた飲食店や日本・中国・韓国の食品・食材を売るスーパーマーケットがひしめく一角に出る。東洋街の中心リベルダーデ広場だ(写真6-1)。ここから南に向かってガルヴォン・ブエノ通りが走っており、夜になると商店のネオンとともに赤いポールのすずらん灯が街路を照らす。かつて世界最大の日本人街と呼ばれた東洋街は、サンパウロ市のほぼ中心に位置するリベルダーデ地区の商業・観光エリアであり、リベルダーデ広場から、ガルヴォン・ブエノ通り、グロリア通りを経て、サン・ジョアキン通りまで広がっている(地図1、2参照)1。
くりかえすが、現在の東洋街エリア-リベルダーデ広場、ガルヴォン・ブエノ通り、サン・ジョアキン通り一帯-には、大正小学校や聖州義塾、日伯実科裁縫女学校など戦前すでに多くの日系教育機関が位置し、コンデ界隈から歩いて数分という位置関係もあって、かなり日系人の往来が激しく、関心も高い地域だったことが知られる。 とは言え、今でこそ車両と人の通行が絶えず、夜はネオンのひしめくガルヴォン・ブエノ通りも、1950年代までは街路樹が植えられ、「昼なお暗き」と形容されたほど閑静な街路であった。また、車の通行も少なく、子どもたちがかけっこや石蹴り、陣取りができるような状態であった。リベルダーデ広場は公園になっており、中心には小さな築山があり、ブラジル帝政時代の執政官ディエゴ・アントニオ・フェージョーの銅像が建っていた。 『コロニア芸能史』は、「一変したガ・ブエーノ街」と、この通りの平凡な一住宅街から繁華な日本人街への急変を次のように記している。
しかし、シネ・ニテロイができるまでの戦前、戦後を通じてのガルボン・ブエーノ街は一世紀も前に建てられたような同じ型の住宅が軒をつらね、街角にバールや、二、三の食料雑貨店があっただけである。 古きよき時代で、夕暮れには人の好さそうな感じの人達が窓から顔を出して街往く人々を悠長に眺めているのであった。街路樹の下には恋をささやく男女の姿がよく見かけられたが、今は一本の街路樹も見られない。シネ・ニテロイの出現は見る見る住宅街から商店街へと一変させた(pp.270-271)。 1964年4月には、サン・ジョアキン通りの坂下、ガルヴォン・ブエノ通りとの交差点に、後のブラジル日本文化協会の母体となるサンパウロ日本文化協会センタービルが竣工する。第1期工事で、敷地面積3734平方メートル、地上4階建てであったが、後にどんどん建て増しされて大きくなった。 同協会の初期の主な事業としては、1967年5月の皇太子殿下・美智子妃殿下ご夫妻(現天皇皇后両陛下)来伯記念式典、1968年6月の日本移民60年祭、皇太子殿下来伯記念講堂(1970年9月落成)の建設などがあり、これらのイヴェントはすべてこの文化協会が中心となって行なわれた。ブラジル都道府県人連合会や福祉団体である日伯援護協会、サンパウロ人文科学研究所や図書館、日系美術館や工芸委員会なども、このセンター内に置かれることになる。これらのプロセスの中で、ブラジル日本文化協会(1968年改組)は、名実ともにブラジル日系コミュニティの統合機関となっていった。 このいわゆる「文協」あるいは「文協ビル」(日本語を解さない日系人もBunkyoと呼んでいる)のコミュニティセンター化によって、リベルダーデ広場からガルヴォン・ブエノ通りを経てサン・ジョアキン通りまでの空間が、一つのまとまったエリアとして日系人の間で意識されることとなった2。1965年には、シネ・ニテロイをつくった田中と水本毅らによって、リベルダーデ商店街親睦会(リベルダーデ商工会の前身)が発足している。こうしてこの地域が、親睦会と文協という二つの機関を中心とし、後に東洋街を形成する一つのまとまったエリアとして発展していく契機となったのである。
2. 1996年にリベルダーデ商工会で行なわれた座談会「リベルダーデ変遷50年-地区開発者たちの語る『今と昔』」では、シネ・ニテロイのオーナー田中義数らによって1965年に結成されたリベルダーデ商店街親睦会とこの日本文化協会の存在が、次のようにこのエリアの日系人のまとまりを促したことを確認している(ACAL, 1996, p.56)。 参考文献 奥山啓次他編(発行年不明)『サンパウロ東洋街ガイド』リベルダーデ商工会 コロニア芸能史編纂委員会(1986)『コロニア芸能史』コロニア芸能史編纂委員会 ACAL (1996) Liberdade. ACAL 根川幸男(ねがわ・さちお): ブラジリア大学外国語・翻訳学部助教授。1996年からブラジル在住。専攻分野は移民史・比較文化研究。最近は、ブラジルの日系・アジア系教育機関の形成史に関心をもっています。 このコラムシリーズはRSS購読可能です。根川氏の最新のエッセイを入手するために、右上にある『ブラジルの日本人街』をクリックし、ページ下のオレンジのボタン「XML]をクリックしてください。RSSに関する情報はこちらを参考にしてください。 本稿の無断転載・複製を禁じます。引用の際はお知らせください。editor@discovernikkei.org © 根川 幸男
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