ブラジル国、ニッポン村だより -- 2008年正月 三番叟の復活上演
2008年正月 三番叟の復活上演中村 茂生 ここまで何回かにわたって、ブラジルのある町の歴史にかんする話題を取り上げてきた。 2008年のお正月、その最初の催しとして「三番叟」の復活上演が行われ、大成功を収めたという知らせが届いた。今では町の人口の8割を占めることになったブラジル人にも大好評だったといい、翌日、舞台を提供した文化協会の役員は現地の新聞の取材に追われたそうだ。 そんな旅回りの一座に、サンパウロ州の農村部を中心に活動する人気劇団があった。主宰は日本生まれの一人の女性である。幼少期に家を出て旅回りの一座に身を投じ、憎まれ役として看板女優となったが結婚して引退、所帯をもった相手を口説いて家族でブラジルに渡ってきたが、不運にもご亭主は体を壊して働けなくなり、一家を食わせていくために、昔とった杵柄ということでまた芝居に戻ったのだった。娘や息子を団員に、一座を旗あげした。 ちょうど各地に日本人集団地が勃々と出現する時期であり、芝居の注文はたくさんあった。ひとりだけとはいえ玄人のいる芝居である。見よう見まねの素人の舞台とは一味違っていたのだろう。当初出し物は歌舞伎であった。三味線や太夫もちゃんと揃えた。サンパウロ州奥地のあちこち、にわか作りの舞台の上で、例えば太閤記が、忠臣蔵が演じられていたかと思うと不思議な気持ちにならざるを得ない。三味線と浄瑠璃の音は、果てしなく広がるブラジルの土地で、どこまで響いていったのだろうか。 三番叟のふたりの舞手は、この一座の役者であった。人気旅回り一座が日本人移住地に拠点をおいていたことで、戦後しばらくたって芝居というもの自体の人気が落ち、主宰の女性も亡くなって一座が消滅したとき、そこがそのまま棲家となった。以後、ふたりはそこで踊りの師匠として暮らしてきた。ふたりが指導する町の婦人会の踊りは評判で、あちこちのイベントに招待されている。 一座に関心をもち、いろんな話をうかがっているうち、話題になったのが三番叟だった。日本の民俗芸能の流れを汲んでいたと思われる、主宰の女性が日本で所属していた旅回りの一座では、必ず三番叟が最初の出し物だった。ふたりはその三番叟を仕込まれていた。 もう何十年もやっていないけれど、体が覚えているだろうからやろうと思えばできるだろう、開拓記念の年も近いから復活上演というのもいい趣向だ、やるなら装束は自分達で用意するよという先ほどの話、鈴がいるけどブラジルには鳴りのいい鈴がないからこれだけは日本から取り寄せるか、などなど話が弾んだ。調べてみたら三番叟鈴というものが売られているから私がプレゼントしますよ、だから必ず復活上演やってくださいということで鈴を贈ったのが2006年の10月ごろだったから、一年ちょっとの準備だったことになる。とうとう実現し、しかも大当たりだったというからうれしい話だ。どこかで再演してもらってこの眼で舞台をなんとしてもみなければ。 ひとつだけ心残りがある。おふたりは三番叟鈴も自作するつもりでイラストを描いていた。日本から製品を取り寄せる、などというのは無粋なことだったかもしれない。ブラジル製の三番叟鈴が見られる機会だったのに。 中村茂生(なかむら・しげお): 立教大学アジア地域研究所研究員。2005年から2年間、JICA派遣の青年ボランティアとしてブラジルサンパウロ州奥地の町の史料館で学芸員をつとめる。それが日系社会との出会いで、以来、ブラジル日本人移民百年の歴史と日系社会の将来に興味津々。 このコラムシリーズはRSS購読可能です。中村氏の最新のエッセイを入手するために、右上にある『ブラジル国、ニッポン村だより』クリックし、ページ下のオレンジのボタンをクリックしてください。RSSに関する情報はこちらを参考にしてください。 © 中村 茂生
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