ブラジルの日本人街 -- 第10回 (番外編2) ロンドリーナ-日系文化ムーヴメントとマツリダンス-
第10回 (番外編2) ロンドリーナ-日系文化ムーヴメントとマツリダンス-根川 幸男 最近ブラジルでは、「日系文化」や「新日系文化」という言葉が邦字紙を中心に使われだした。この言葉は、「『日本文化』をベースにブラジル風にアレンジした文化」という意味で使われているが、「日本の日本文化」から、自らの「日本文化」を「日系文化」として自覚的に差異化し、多文化的な「ブラジル文化」を構成する一要素として位置付ける姿勢を示している。 現在、その日系文化プレゼンスでもっとも熱いと思われるエリアが、北パラナ(パラナ州北部)である。戦前から多くの日系人が入植し土地を開拓してきた地域であり、戦後は政界、財界、法曹界、ビジネスなどさまざまな方面に進出し、めざましい活躍をするようになっている。この北パラナの中心都市ロンドリーナ(Londrina=人口約50万)は、その名が示すとおり、戦前イギリスの土地会社によって開発され、ロンドンにちなんでその名がつけられた(地図1参照)。日系移民の入植も戦前の1930年からはじまっており、現在はすでに三世、四世の世代が台頭している。また、同市は兵庫県西宮市と姉妹都市であり、強力なインテグレーションを持った日系コミュニティが存在する。 「ジャポネースというアイデンティティはあるけれど、『一世』とは違う主張をしたかった」というミチコさん。また、「このお祭りをやることで自分たち日系人が日本文化を伝承し、おじいちゃん、おばあちゃんたちが植えてくれた種がちゃんと育っているということを伝えたい。そして、私たちの日本文化を非日系のブラジル人たちにも紹介し、新しいブラジル文化を創造していきたい」と語る。グルーポ・サンセイは新しい世代を意味する「三世」(サンセイ)と肯定を意味する「賛成」(サンセイ)ひっかけた言葉だという。 2006年11月、マツリダンスはサンパウロに進出した。若手日系人が中心に日本文化を広く紹介する「Japan Experience-日本文化体験06-」というイヴェントで、ロンドリーナからやってきたグルーポ・サンセイのメンバーと会場につめかけた観客たちが一体化し、マツリダンスを踊ったのだ。これはマツリダンスが北パラナというローカルな日系文化プレゼンスにとどまらなくなったことを意味する。 2008年は、笠戸丸による第一回ブラジル日本人移民から100周年。今、日本人が移植した「日本文化」は、ブラジル社会にあって「日系文化」として、新たな意味と位置付けをもって一つのムーヴメントとして認知されつつあるのである。それは、ミチコさんの言葉にもあったように、ブラジルの多文化的状況の中でダイナミックに創造されていく「新しいブラジル文化」を構成する魅力的なファクターとしての位置付けでもある。そういった創造活動の現在進行形を、マツリダンスに見ることができると思う。 2007年のロンドリーナ祭りに話を戻そう。9月9日の最終日、午後8時に始まったマツリダンスで会場の盛り上がりは最高潮に達し、1万5000人がいっせいに踊った。新しい曲や振り付けの発表があると、あちこちで歓声が上がる。踊るのは若者ばかりでなく、中高年の女性グループも目立つ。日系、非日系、肌の色にかかわりなく汗を流してマツリダンスに夢中になっている。地球の反対側のブラジルの、しかも日本の人びとがほとんどだれも知らないような地方都市で、日系人グループによってこんなマルチエスニックな熱狂空間が演出されていることに、筆者はただ驚くばかりだった。
参考文献 根川幸男(ねがわ・さちお): ブラジリア大学外国語・翻訳学部助教授。1996年からブラジル在住。専攻分野は移民史・比較文化研究。最近は、ブラジルの日系・アジア系教育機関の形成史に関心をもっています。 このコラムシリーズはRSS購読可能です。根川氏の最新のエッセイを入手するために、右上にある『ブラジルの日本人街』をクリックし、ページ下のオレンジのボタン「XML]をクリックしてください。RSSに関する情報はこちらを参考にしてください。 本稿の無断転載・複製を禁じます。引用の際はお知らせください。editor@discovernikkei.org © 根川 幸男 |
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