2 移民を授業する - 日系アメリカ人の記憶から学ぶ:  2 エド・イチヤマさん

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日本の学校で使用する教材作成のために、ハワイ在住元442部隊のエド・イチヤマさんにインタビューをしました。真珠湾攻撃後、三兄弟が日米にわかれて従軍することになってしまった悲運を語ってくださりました。「戦争で何千もの若い兵士がこの世を去りました。何千もの母親たちや残された家族は凍りついたような感情を長くもち続けなければなりません」という言葉が強く印象に残っています。

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© 2008 多文化社会米国理解教育研究会

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差別と闘った経験

12月7日のことを話しましょう。仕事中の事です。日本の飛行機が頭上を通過し、真珠湾を爆撃していました。私は大急ぎで走って家に戻り何事か確かめようとしました。その日のうちにFBIが父の家にやって来て、「いつどこで誰が生まれたのか。いつ、なぜハワイにやってきたのか。子どもたちの居場所はどこか」とイチヤマ家のことを詳細に渡って質問しました。そしてスパイ容疑がかけられました。日本に次兄がいて、しかも彼は日本海軍兵士だからです。父は苦しみました。長男はアメリカ軍、次男は日本海軍、私はアメリカ軍の第442連隊に入り、長男が所属する米連合軍は日本軍を攻撃し、日本軍にいる次男の消息は分からず、私は第442連隊の一員としてイタリア戦線で闘っていたのですから。

Henry Sugimoto, "My Papa"
Contributed by: eishida

家族の物語

戦争中も戦後も私はしばらく兄が許せませんでした。アメリカ市民なのに、なぜ日本軍に従軍できるのか分かりませんでした。兄は南洋でオランダ人に捕まり、ジャワ島で1年間捕虜になっていました。戦争が終わっても、日本軍として戦争に参加したことを兄がどのように語るのかとても気になっていました。戦後、時間がたって兄と会う時、とても辛い気分でした。パンチ・ボウルで苦しかった胸のうちを語り合って涙した時、ようやく本当の兄弟に戻れました。
戦争で勝つ人は誰もいません。誰もです。皆が何かを失います。戦争で何千もの若い兵士がこの世を去りました。何千もの母親たちや残された家族は凍りついたような感情を長く持ち続けなければなりません。

Henry Sugimoto, "Died in Battlefield"
Contributed by: eishida

エド・イチヤマ

1923年ハワイホノルル生まれ。父と祖父は山口県出身,第一次世界大戦時にハワイに来る。祖父は日本に戻るが,父は床屋として生計をたて,ハワイ生まれの2世の母と結婚した。自称「2.5世」の元弁護士。第二次世界大戦前に長兄は身を寄せていた山口の祖父の元からハワイに戻り,次兄は日本にいる間に第二次世界大戦が始まり,長兄はアメリカ空軍に従軍し,次兄は日本海軍に従軍し,自身は第442連隊に入隊する運命となった。

日系アメリカ人の個人史をつむぐ - エド・イチヤマさん
Contributed by: team-nikkei-usa

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team-nikkei-usa — Última actualización Jun 28 2021 1:49 a.m.


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