行方不明になるデカセギたち ~在伯留守家族の苦悩~

ブラジル国サンパウロ州サンパウロ市で発行されてい、日本人・駐在者向けの日本語新聞、ニッケイ新聞(www.nikkeyshimbun.com.br )からのの転載。このコラムでは、世界同時不況のあおりを受けた、デカセギの動向をレポート。“デカセギに捨てられた”留守家族の苦悩と想いを探るとともに、日伯両国間にまたがる司法的な課題や現状を探る。

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第10回(終) 新時代の日伯関係を前に=望まれる司法共助協定

>>第9回

ブラジルから日本に発送する裁判嘱託書の約半数があて先不明として返信されている現状に関して、佐々木リカルド弁護士は、両国が一定の「中央当局」を指定して、嘱託書のやりとりを行うのが現実的な解決策と説明する。いわゆる、司法共助協定の締結だ。

連載第8回目で紹介したように、裁判嘱託書の発送には、両国の様々な機関の審査を受けるため、手続きの長期化が一つの問題になっている。これを簡略 化するために「例えば外務省や大使館を通さず、両国の法務省が直接嘱託書のやり取りをすればいい」という。これにより、1年から1年半ほどかかっている嘱 託書のやり取りが3、4カ月ほどまで短縮できる。「現実的にも難しい話ではない」。

また、ブラジルから裁判嘱託書の半数があて先不明として返信されていることに関連して ...

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第9回 困難な扶養費の取り立て=判決出ても執行できない

>>第8回

二宮正人弁護士によれば、裁判嘱託書が当事者に届かない場合、管轄の地方裁判所の書記官がその書類を保管し、裁判所の掲示板に本人の出頭を呼びかける「公示送達」の手段がとられる。

「でもブラジルの家族を捨て、日本で新たな家族や恋人をつくっているような男がわざわざ出頭するはずがない」と二宮弁護士は疑問を呈する。この場 合、被告不在の欠席裁判がブラジル側で行われ、原告の要求が大筋で認められる有利な判決が下されるが、それを執行するのは現実的には難しいと語る。

なぜか――。
欠席裁判で下された扶養費の支払い命令を執行するためには、ブラジル側の原告は、東京高等裁判所に申し立てた後、新たに訴訟先の管轄の地方裁判所に執行裁判を求めなくてはならないからだという。

一般的に苦しい生活を強いられている原告の留守家族が、さらに何年も時間をかけ、弁護士を雇うのは難しい。
「ここまで手続きをした例も聞いたことがない。そもそも最初から行方をくらましている人に執行裁判を求めること自体が困難だ ...

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第8回 増える日本への民事訴訟=嘱託書の手続きに課題

>>第7回

連載第三回で紹介したマガリさんのように、ブラジルに残されたデカセギ留守家族が、日本にいる夫などに対し、扶養費の支払いや離婚を求めるため、民事訴訟を起こすケースが増えている。

聖州高等裁判所のカイターノ・アクアスタ判事が今年六月にまとめた報告書によると、被告の呼び出しや訴状、判決文などを外国にいる被告に送達するた め、〇一年に同裁判所が作成した裁判嘱託書(カルタ・ロガトーリア)は、約三千通。そのうち、約半数が日本に発送されている。この数字は、ブラジル人居住 者が多いアメリカやポルトガル、アルゼンチン、イタリアなどよりも圧倒的に多い。

今年の統計では、五月までに ...

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第7回 デカセギ夫の苦悩=孤独と戦いながら送金

>>第6回

日本で行方をくらますデカセギの気持ちはどのようなものか――。

記者の質問に、日系二世の田中ヨシカズさん(60、聖州ジュンジアイ市)は、「日本で仕事がしたことがあれば、誰だって分かるよ」と小さく答えた。

田中さんが妻ルシアさんと当時二歳だった娘を残し、単身デカセギに行ったのは九二年。静岡県湖西市の自動車製造工場で働き、八時間の通常勤務に加えて残業を毎日こなしたという。休日、磐田市内の工場にヘルプ要員として出張することもよくあった。

工場では、ベルトコンベアから流れてくるエンジンを取り付ける日々。日本人に差別を受けてつらい思いをしたこともある。「仕事は重労働だった。でも家族のためにがんばるしかなかった」。

少しと謙遜するが、家族への送金は毎月欠かしたことはなかった。千円のテレフォンカードを何枚も買い、土曜日に国際電話するのが一番の楽しみだった ...

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第6回 “探されたくない”不明者たち=捜索は新聞からインターネットへ

>>第5回

「毎週六件から十件ほど行方不明者の写真と経歴を載せていた。本人の身元が分かるまで同じ広告を三カ月以上続けて出すこともあった」。

在日ブラジル人向けのポルトガル語新聞「トゥード・ベン」を週一回発行するJBC出版社の新井ジョニー編集長(35、聖市、三世)は、九〇年代後 半、ブラジルの留守家族の依頼を受けて掲載した尋ね人の広告が、紙面の一角を埋めていたと振り返る。(編集部注=同紙は取材後、月刊誌「トゥード・ベン・ マガジン」に移行)

「一九九五年ごろから〇三年ごろまで掲載していた。日本のブラジルコミュニティーに協力する目的もあって、費用はすべて無料だった ...

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