「日系子弟の今後を考える会」~パラグアイ国イグアス移住地での試み~

数十年前に首都アスンシオンに電気技術者として、その後家族を呼び寄せてパラグアイへ移住した大山氏。現在は、家族とともにイグアス移住地で生活を送る。そんな彼が、このシリーズを通して、イグアス移住地の現状を個人の体験談を通して紹介するシリーズ。

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第4回 (最終回) はじめてのアスンシオンからの「出前授業」と「第3回日系子弟の今後を考える会」

なにごともはじめが肝心である。高校生に何を、どのような形で「出前授業」をするのか?高校生が果たしてまじめに聞いてくれるだろうか?私は正直言って不安だった。

2008年10月18日、JICA日系研修員OB会の会長である、アスンシオンの鈴木等(ひとし)さんが3人のOB会メンバーを引き連れてイグアスに来てくださった。場所は、予定していた「匠センター」が改修中なので日本語学校の一教室をお借りした。

高校生たちがひしめく中、最初に、皆の前に立ったのは女性だったが、なぜか首に、「鈴木等」というネームプレートを掛けていた。そして「この星に生まれて」という素敵な歌を紹介して下さった ...

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第3回 佐々木倫子先生を迎えての「第2回日系子弟の今後を考える会」

イグアスにおけるバイリンガル教育

今年の8月、イグアス移住地で「第2回日系子弟の今後を考える会」が行われた。そこには桜美林大学教授であり、M・H・B(母語、継承語、バイリンガル)研究会事務局の佐々木倫子先生をお招きすることとなった。佐々木先生は、以前イグアスで開催された日本語教育シンポジウムの講師としてイグアスに来て下さったことがある。今回はイグアスの滝に観光に来られるつもりだったのであるが、数度のメールのやり取りの末、イグアス移住地に立ち寄り、講演することを引き受けてくれたのである。

今回のテーマは「イグアスにおけるバイリンガル教育」。イグアス移住地はブラジル、アルゼンチン、パラグアイが接する三国の国境近くにあり、しかも三国国境の合流点に一番近い日本人の移住者社会ということで ...

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第2回 第1回「日系子弟の今後を考える会」の実現

私が日本人会の教育担当理事になる以前の1月、「日系青年の集い」(主催:パラグアイ日系農協中央会)がイグアス移住地にあるJICA農業試験場(CETAPAR)で開催された。そこに、日系社会の後継者育成に興味を持つJICA岩谷次長も招かれ、参加した。その集いには、20代の若手が25人集まり、有意義な会が持たれたが、岩谷氏本人は若者達の認識レベルの低さと、彼らのパラグアイ社会に対する愛着、また社会参画意識の乏しさに危惧を感じたと、後日、話された。

そして2月、岩谷氏はイグアス日本語学校を訪れ、アスンシオンから講師を招く「出前授業」の実施を提案された。その後、彼は市長 ...

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第1回 個人的きっかけ

パラグアイのイグアス日本人移住地は再来年移住50周年を迎えるが、他の移住地と同様、日本への出稼ぎや少子化で日系社会の収縮現象に悩んでいる。

私はいわゆるオーソドックスな移住者、(原始林の開拓に入ってそこから移住生活を始めた人たちとその子孫)ではなく、24年前に首都アスンシオンに個人的に電気技術者として入植?し、現地の会社で働き始めた。そして家族を呼び寄せて移住し、その後16年前にここイグアス移住地に移って来た。したがって開拓すべき土地も、農業用地も所有していないが、日系人の一人としてこの地に永住し、南米の将来のために何かをしたいと願っている者の一人だ。

ところで、私は1年半前に約9年間の日本での出稼ぎ生活を終えてパラグアイに帰って来た。日本に行っていた理由は成長しつつあった子供たちをそこで迎えるためだったが、パラグアイに残された子供たちや妻はずいぶん苦労をしたようだ。

帰って来て気がついたことは、子供たちの生活が以前とはがらりと変わってしまっていたことだ。妻が日本語学校の教師として午前も午後も働いていたせいもあるが、家族がバラバラで好き勝手な生活をしていた。たとえば、家を出て行くときも ...

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