「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

1960年代はじめ、全米を取材して日系社会のルーツである初期の日本人移民の足跡をまとめた大著「米國日系人百年史」(新日米新聞社)が発刊された。いまふたたび本書を読み直し、一世たちがどこから、何のためにアメリカに来て、何をしたのかを振り返る。全31回。

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第16回 モンタナ州の日系人

グレート・ノーザン鉄道から始まる

北はカナダと一直線の国境で分かれているモンタナ(Montana)州は、東をノースダコタ、南をワイオミング、西をアイダホの三州と接している。「百年史」では、「モンタナ州に日本人が最初に入込んだ経緯は詳らかではないが、一八八四年から一八九〇年頃の間、多い時は三十名も鉱山町ビュテに日本人賤業婦が入込んだといわれ、しかし大量に入ったのは一八九八年、東洋貿易会社がグレート・ノーザン鉄道会社に日本人労働者供給の契約を結び、多数を送り込んだことに始まる」と、いう総説ではじまり、10ページにわたって、紹介している。

以下、興味深い点などを追って、まとめてみよう。

前回紹介したワイオミング州 ...

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第15回 ワイオミング州の日系人

ワイオミング州というと、日本では西部劇やカウボーイというイメージを思い浮かべるのではないだろうか。かつて「ララミー牧場」というテレビドラマがあり日本でも放映され人気を博したが、このララミーはワイオミング州南東部の端にある。

米国西北部に位置するこの州と日本人、日系人について、「百年史」では、紳士録をあわせて5ページを割いている。

南はコロラドとユタ、北はモンタナ、東はサウスダコタとネブラスカ、そして西はアイダホの各州に接しているワイオミング州は、その多くが山岳地帯だ。週の北西部には名勝イエロー・ストーン国立公園が位置している。

概説からはじまり、この山岳地帯の内陸部の州で、日本人がどのような活動をはじめたかを具体的に記録している。

たとえば、同州の南東端に位置するララミー郡の都市、シャイアン(Cheyenne ...

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第14回 ワシントン州の日系人~その2

第13回 ワシントン州の日系人~その1を読む >>

戦後のシアトルと日系人  

戦後のワシントン州の日系人の活動について、「百年史」はわずか3ページだが力を込めて書いている。とくにシアトルの日本人、日系人の復興についてホテル業など戦前の事業の復活や新規事業を立ち上げて勢いづくありさまがわかる。それらをまとめると――

かつて日系人の商業区域だったが、戦時中は黒人が集まっていた「メーン街と南六街角」は、戦後は日系人によって買収されていき、再び日系人の領域となり、さらに、その範囲は周囲に広がっていった。

帰還してきた日系人は1947年末までに4,700人だったのが、翌48年末には、約5,500人に増加し、もう少しで戦前の数に戻るところだった。

就職面における一世から二世への世代交代や女性が働くようになったことが新たな動きとしてみられた ...

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第13回 ワシントン州の日系人~その1

日本からの航路ができ、いわば移民の玄関口となったシアトルやタコマという都市を抱えるワシントン州。当然日本人、日系人の歴史は古い。

「米國日系人百年史」では、42ページを割いてワシントン州の日系人を紹介している。まず概説からはじまり、「日本人発展経路」と題して、ワシントン州からはじまった日本人の活動の経緯を説明する。

つづいて、第一節「戦前の日本人状態」を産業、教育、団体、排日問題などの点から解説している。シアトル、タコマほか州内の各地方に分散している日本人の活動についてもふれている。

以下、その内容で気になるところを要約して紹介したい。


シアトル、タコマに日本からの定期航路が
 

1880年の米国国勢調査では ...

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第12回 アイダホ州の日系人

日本人は鉄道労働から

東がモンタナ州、西がワシントン州とオレゴン州に接するアイダホ州は、西部開拓によって鉱山業からはじまりその後鉄道業が盛んになった地域である。また、高原地帯は一大農業地帯でもあった。

「百年史」によれば、アイダホ州の日本人の歴史は、まず鉄道労働からはじまったことが詳しくわかる。

アイダホ州に日本人が最初に足を踏み入れたのは、1891(明治24)年で、当時UP(ユニオン・パシフィック)鉄道の一部として建設中のオレゴン・ショートライン鉄道のハンチングトン=グレンジャー間に、はじめて日本人労働者がナンパに送りこまれたときである。

ところが、これよりも以前に日本人の影はあったという。それは女性だった。

「一八八五年ごろより一八九〇年代にかけ ...

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