「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

1960年代はじめ、全米を取材して日系社会のルーツである初期の日本人移民の足跡をまとめた大著「米國日系人百年史」(新日米新聞社)が発刊された。いまふたたび本書を読み直し、一世たちがどこから、何のためにアメリカに来て、何をしたのかを振り返る。全31回。

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第26回 ニューヨーク州の日系人

アメリカの中部、東部、南部の諸州の日系人について、「百年史」が割いているページ数は一部を除いて少ないが、大都市ニューヨーク市を抱えるニューヨーク州は別格で、広告を含めて50ページにわたりその足跡、活動をまとめている。

経済の中心でもあり、銀行、商社、運輸、証券、飲食など日系の企業やお店の広告もふんだんに載せている。少し紹介すると、「味の素」、「伊藤忠アメリカ会社」、「三井商船株式会社」、「日本料理さいとう」、「高島屋」などだ。

ニューヨーク州の日系人の人口は国勢調査だけをみても、1900年に350人、1910年には1247人、さらに1920年には2686人と増えている ...

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第25回 東北中央部諸州の日系人

「百年史」では、第十九章として五大湖周辺のオハイオ州、インディアナ州、ミシガン州、ウィスコンシン州の4州のなかの日本人、日系人の足跡、活動についてまとめて紹介している。本書ではオハヨー州、ミチガン州と表記されているが、ここではオハイオ、ミシガンとする。

4州まとめて約10ぺージなのでかなり少ないが、そのうち6ページをオハイオ州が占めている。

オハイオ州のなかではクリーブランド市、ついでシンシナチ市に少数の日系人が居住している。そのほどんとが会社や工場への勤務で、農業はほとんど見当たらない。

日系人の人口をみると、1900年には27人だったのが徐々に増え続け、戦争開始直前の1940年には一旦減るが、戦後は急増し1960年には3300人以上となっている。 

クリーブランドでの日系人をみると、1904年にセントルイスの万国博覧会で日本の出品物を販売したのがもっとも古いという。このうちお茶の商いをしてのちに美術展を営んだという伊藤某という人物がいた ...

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第24回 イリノイ州の日系人

イリノイ州はIllinoisと表記するが、これをそのままローマ字的に読んだのか、「百年史」では、第十八章「イリノイス州」と表記している。英語をカタカナに表わすのに決まった法則があるわけではなく、また、英語を漢字に置き換える仕方も決まりがあるわけではないようなので、百年史でも今日では使われない表記がある。イリノイ州の代表的な都市はシカゴだが、これは市我古と表記されることがある。 

さて、「百年史」イリノイ州の章では、シカゴ市やその近郊の日本人、日系人の足跡をまとめている。

シカゴ万博からの先駆者たち

まず、「先駆者たち」について。シカゴで万国博覧会が開かれたのが1893年。これを目当てに一旗揚げようとして乗り込んだ日本人がいた。百年史ではシカゴ万博から1904年のセントルイス万博までの期間を先駆者時代というべきだろう ...

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第23回 中央部五州の日系人

「百年史」では、カリフォルニアなど西海岸の諸州では多くのページを割いていたのが、アメリカ中央部の州ともなると、日本人の足跡や実績は少ないのか、あるいは情報も少ないのか、きわめて限られたページで紹介しているに過ぎない。

「第十七章 中央部五州」として紹介されているのは、北からアイオワ(Iowa)、カンサス(Kansas)、ミゾリー(Missouri)、オクラホマ(Oklahoma)、アーカンソー(Arkansas)の5州である。

5州とも戦前の日系人の人口は統計によると、1940年時点でオクラホマ29人、カンサス19人、ミゾリー74人 ...

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第22回 中央北部三州の日系人

中央北部三州とは、ミネソタ(Minnesota)、南ダコタ(South Dakota)、北ダコタ(North Dakota)の三州を指している。百年史では、第十六章で10ページを割いている。

ミネソタ州

「一八九三年のシカゴ万国博開催以前に、田中楠太郎経営の百貨店「起立工商会」や「関西貿易商」と呼ぶ日本人商店がセントポールに在り、松原重栄らが営業にあたっていたというからずいぶん古い話である」と、日本人のこの州でのさきがけについて触れている。

日本絵画など美術品を扱って成功した北川留太郎、病理学の権威としてアメリカ人にも知られ、ミネソタ大学などで教鞭をとった池田叶博士 ...

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