Alberto J. Matsumoto

Argentino, descendiente de segunda generación, radicado actualmente en Japón. Es licenciado en Relaciones Internacionales en la Universidad del Salvador, Buenos Aires. En 1990 obtiene la beca del Ministerio de Educación de Japón y realiza sus primeros estudios en la Universidad de Tsukuba. Luego, en 1997 obtiene la Maestría en Derecho Laboral y Económico en la Universidad Nacional de Yokohama. Director General de la Consultora Idea Network, especializada en traducciones jurídicas. Ha sido intérprete judicial en la Corte de Tokio y Yokohama por más de 20 años. Es profesor de Español en la Prefectural de Shizuoka y de Economia, Sociedad y Derecho de América Latina en la Facultad de Derecho de Dokkyo University. También imparte sobre Historia de la Inmigración Japonesa y Sistema Educativo de Japón, en la Kaigai Nikkeijin Kyokai para los becarios Nikkei de la JICA. Ha publicado varias obras como la Ley de Migraciones de Japón, Impuesto a la Renta , en castellano, y en japonés: Los 54 capítulos para conocer la Argentina (Akashi Shoten, 2005), Aprenda el español con solo escuchar el CD (Chukei Shuppan, 2007), etc. En 2017 obtuvo el Premio Gratitud a la Cooperación Internacional del Presidente de JICA -Agencia de Cooperación Internacional de Japón y en 2018 estuvo a cargo del análisis e informe del estudio de las comunidades nikkei de México, Cuba y Argentina, de la División América Latina de la Cancillería de Japón (Gaimusho). http://www.ideamatsu.com/

Última actualización abril de 2020

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通訳現場の異文化の駆け引き−軸になる母語が重要

日本の日系ラティーノコミュニティーの中でもペルーで生まれ、幼い頃来日して日本の学校で教育を受け、家庭でスペイン語使用している場合、その親は「家の息子/娘はバイリンガルで両言語(スペイン語と日本語)は完璧だ」という。

私の母語はその同じスペイン語であるが、アルゼンチンのスペイン語で南米諸国の中でもかなりクセがある。イタリア人移民等の影響でかなり独特な表現も多く、日常会話の俗語は地元の人間でなければ把握できないものも多い。同じスペイン語圏の国々にも当然ながらそれぞれの地域性があり、日常会話にはかなりユニークな表現がある。ただ、この文化圏の二十数カ国ではある程度表記や表現が統一されており、問題なくコミュニケーションがはかれる。   

この共通母語スペイン語によって、私は通訳として1992年頃から日本で活動している。英語ほどではなくとも、かなり広い地域から来るビジネスマンや政府高官、識者や専門家等のアテンドを仕事にしている。渉外法務関係の翻訳業務もしている。そこで扱われる専門的な用語と内容は ...

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アルゼンチンと日本の体験から

私は、首都ブエノスアイレス郊外のエスコバールという町で1962年に生まれた。この町は、アルゼンチンの日本人移民の中でも最も多くの日本人や日系人が住んでいるところである。香川県出身者も、私の両親を含め2、3世帯は現在もいると報告されている。多くの日本人たちは花卉栽培や観葉植物等に携わっており、ここ半世紀の政情や不安定な経済に悩まされながらも全体的に観て成功したと言える。エスコバールでは毎年中南米一の花祭りと花の品評会が行われており、多くの日本人や日系人が出展している。我々日系人たちも、地元の日本語学校や日本人会館"ベレン・クラブ"(文化交流のイベントや様々な集いを開催するところ)で幼い頃から正規のスペイン語学校に通いながらほぼフルタイムで日本語を学ぶ機会に恵まれたのである(国語、漢字、会話を月曜日から金曜日まで毎日半日の授業であったので、他の地域や移住地の日本語学校ではここまで充実した講義は行われなかったのである)。

しかし、こうした日本語学校も小学校までしかなく、ほとんどの日系二世や三世は、地元の中学や高校に進学するにつれ家庭内での限られた両親との会話以外は日本語を使う機会を失っていくのが実状である ...

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中南米の日系人と日本の日系人の正体

中南米の日系人

日系人とは海外へ移住した日本人とその子孫であると定義されている。日本人が海外に移民するようになってから140年近くになるが、この期間アメリ カをはじめ中南米諸国には多数の日本人が移民し、現在、世界には250万人の日系人が存在する(ブラジルが一番多く130万人、次にアメリカが100万 人、ペルー9万人、カナダ5.5万人、アルゼンチン3.2万人等である)。

当初からこの移民は苦難の連続であり、多くの方々の犠牲と努力等によって今日、 日系人コミュニティーというものが各地で築き上げられた。どの国でも日系人は勤勉で誠実で、まじめだということで評判になり社会的にも「保証つ き"garantizado"」という存在になった。そして一世の苦労の甲斐あって二世や三世は地元社会でも様々な分野で活躍するようになった ...

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