Keiko Fukuda

Keiko Fukuda: Oriunda de la prefectura de Oita, egresada de la Universidad Internacional Cristina. Trabajó para una editorial de revista informativa en Tokio. En 1992 viajó a los Estados Unidos y trabajó como jefe de edición en una revista dedicada a la comunidad japonesa durante 11 años. Es freelance desde 2003 y actualmente escribe artículos para revistas focalizándose en entrevistas a personalidades. Publicó junto a otros escritores “Nihon ni Umarete” (nacido en Japón), Editorial Hankyu Communications.

Última actualización febrero de 2008

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フォーラム通じ「ウチナーンチュの交流」呼びかける

2008年3月1日、全米日系博物館のホールに二百名ほどの聴衆が集まった。お目当ては「沖縄出身者のグローバルネットワーク」と題された公開フォーラムだった。

沖縄からの海外移民の背景を説明したのは、琉球大学教授の金城宏幸さん。「経済が困窮していた沖縄に、少しでも多くの海外からの仕送りを得るため、 19世紀末から出稼ぎが目的の移民が促進された。第二次大戦敗戦後は、海外のウチナーンチュコミュニティがまさにライフラインだった。アメリカ、ペルー、アルゼンチンなど各地から、お金だけでなく食糧、衣服が送られた。彼ら、海外のウチナーンチュは自分たちの故郷再建のためにできるだけのことをした」

1990年に第1回の世界ウチナーンチュ大会が開催された。回を追うごとに参加者は右肩上がりで増加を続け、2006年の大会には5000人が集まった。参加者は必ずしも沖縄にルーツを持つ人ばかりではなく、沖縄出身者の子孫は7割という数字だった。会場に映し出された大会の映像からは ...

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日系ペルー人の終わらない戦後 その3: ペルー政府を許すことが出来ない: 親川八重さん

その2 >>

4歳の時に家族と共にペルーからアメリカへ渡った中松さんと違い、第二次大戦中、親川八重さんは既に結婚して夫の経営するリマの市内のマーケットを 手伝っていた。親川さんは1918年沖縄生まれ。結婚相手の暮らすペルーに渡り、数年が経っていた。夫が連行されたのは昼休みのことだった。突然ドアを ノックする音がして、夫と夫の兄の名前が呼ばれた。そのまま警察署に連れて行かれ、二度と家に戻ることはなかった。

夫が消えてもペルー政府からは何の連絡もなかった。「残された家族はそれはもう心配した。でも、多分アメリカに連れて行かれたのだろうと想像はして いた。ペルーの新聞もアメリカと結託していたのか、消えた日本人について記事にすることはなかった。私には子供がいなかったので店の仕事に専念することができた。それでも、ペルーの役人が店にやって来て、売上金を全部持ち去った ...

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日系ペルー人の終わらない戦後 その2: この国で生きていくのに必死だった: マイク・中松さん

>> その1

カリフォルニア州サウストーランスの自宅で出迎えてくれたマイク・中松さんは1938年のリマ生まれ。沖縄出身の日系2世だ。検眼医を引退した現在 は、夫人のアイコさんと海外旅行するのが楽しみだと話す中松さん。その穏やかな表情から、ペルーからの強制連行と収容所生活、アメリカに残留して家族でゼロからの出発を余儀なくされた過去を読み取ることは難しい。

両親はリマ郊外で食料品店を経営していた。ペルー日系社会での実力者でもあり、日系人が稼いだお金を日本本国へ送金する組織の役員も務めていた。

第二次大戦中のペルーでの日本人狩りの対象となった中松さんの父親は、1943年、突然、家族の前から姿を消した。翌44年に母親と6人の子供たちは、父が待つアメリカ、テキサスのクリスタルシティー収容所に向かった。収容所の中の学校に進学し、生活言語はスペイン語から英語に切り替わった。戦争が終わった後は、日本へ帰る選択肢もあったが、母親が反対した ...

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メンソーレ!沖縄 in U.S.A.

第4回 世界のウチナーンチュの動きを知らせる新聞を編集発行

金城武男さん
ハワイ生まれ帰米二世


沖縄系移民の動向をまとめた新聞「五大洲」をロサンゼルスで編さんしているのが、発行人の金城武男さんだ。「五大洲」とはアジア、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、アメリカの5大陸を指し、世界を意味する。

新聞の名はハワイ移民の先駆者、当山久三の言った「いざ行かん、我らの家は五大州」に由来する。この言葉が表すように、沖縄出身者は全世界に移住し ている。「移民の末裔たちの近況を一目で把握できる媒体がない、であれば自分で編集しなければ」と思ったのが創刊のきっかけだと金城さんは語る。以来43 ...

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日系ペルー人の終わらない戦後 その1

第二次大戦中、日系アメリカ人が敵性外国人として見なされ、アメリカ各地の強制収容所に抑留されていた事実を知る人は多い。しかし、中南米の日系人もまた、米国内の収容所に強制連行されていた。私がそのことを知ったのは、NHKの特集番組がきっかけだった。

番組によると、ルーズベルト大統領は国内の日系人だけでなく、中南米在住の日系人も敵性外国人として逮捕することを望んだのだと言う。合衆国大統領の申し出に、メキシコ、ボリビア、コロンビア、コスタリカなど13にのぼる中南米諸国が応じた。米国に連行された日系人の総数は2264人。うち7割を占 めるのがペルーの日系人だった。

ペルーへの日本人の移住は1899年から始まった。当初はサトウキビ農園の労働に従事していたが、やがてレストランや商店の経営で成功を収めるようになる。リマ近郊に在住していた日系人は日本人学校を創設、スペイン語を自由に操り、地元社会の実力者として頭角をあらわしていく ...

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