初めて渡米した03年春。あの当時のことは丸7年が経過した今でもはっきり覚えている。
私が渡米したきっかけは、他の若い人たちにみられるような希望に満ち溢れた理由とはかけ離れたものだった。大学卒業後、新聞社に就職したい一心で就職活動を続けていた私は、希望していた就職先に全て落ち、途方にくれていた。そんなとき、たまたま見つけたサンフランシスコの日系コミュニティ新聞『日米タイムズ』(09年に廃刊)のインターンの仕事。「米国の新聞社でインターンをしていたという経験があれば、もしかしたら日本の新聞社へ途中入社できるかもしれない」という打算が働き、藁にもすがる思いで渡米したのだった。
帰国後のことばかり考えていた私は、『日米タイムズ』が一体どういう新聞社なのか、また、そこでの仕事がどういうものなのか、まったく知らずに働き始めた。そのため、当時の私は、日系コミュニティのための新聞社で働いてるにもかかわらず、日系コミュニティにも、またそこで生活している日系人たちにも、そして彼らの歴史にも、まるで無関心だった。
“無関心”というのは、“無知”と同義だ。私は、『日米タイムズ』で記者として働いた1年半でそれを学んだ。
そもそも、私は『日米タイムズ』で働き始めるまで、“日系人”という存在すら知らなかった。もちろん、その言葉自体は知って…