Ryusuke Kawai

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。

ふだんあまり目にすることのない、文化の狭間にある音楽を追う彼が勧めるものだけに興味をそそられた。その音源は「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」(ヨコハマ、カリフォルニア)。この名の日系アメリカ人グループが70年代に制作したLPのコピーだった。

このLPは、今となってはかなりレアものらしく、元をただせば洋楽を中心とするインディペンデント・レコード会社「MUSIC CAMP ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

>>その2

沖家と酒井家

沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。

この祖母というのが酒井襄氏の姉にあたるわけで、光三郎氏がアメリカで急逝してしまい、コロニーの事業も結局失敗に終わってしまったことで、祖母は、複雑な立場と心境にあったろうと述懐していた。

また、子供のころに、ヤマトコロニーの写真を見たことがあり、いまでも記憶にあるという。

「バラックのような建物のベランダがあるようなところで ...

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フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

>>その1

謎が解け、コロニーの背景も

こうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。

沖という名前がこのコロニーへのおもな入植者の一人であることはわかっていた。1961年に新日米新聞社から発行された「米国日系人百年史―在米日系人発展人士録」には、日本からの米国移民の歴史が各州別に具体的な名前をあげながら紹介されている。フロリダ州の紹介のなかで、ヤマトコロニーについての記載があるが、そこに宮津から入植した一人として沖という名前がでてくる。しかし、苗字だけで名前はない。

この沖と縁戚関係にあるのが沖守弘氏だと教えられ、さっそく都内にある沖氏の自宅を訪ねた。昭和4年生まれの沖氏は、インドで救貧活動をつづけた修道女、マザーテレサを70年代から撮り続け ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その1

明治時代にアメリカの南東部にあるフロリダ州に農業移民としてわたった人たちの歴史と、その地が現在モリカミ・ミュージアムという立派な博物館と日本庭園 に姿を変えていることを、過去2回にわたって紹介してきた。(参照:「フロリダの日本庭園とコスプレ」、「フロリダと天橋立」)

この移民たちの入植地はヤマトコロニーと名付けられ、コロニーに通じる道はこれにちなんでYamato Road(ヤマトロード)と名付けられた。フロリダという日本人にはなじみのない場所に、このユニークなコロニーができたきっかけをつくったのが、酒井襄(もともとは醸だった)と奥平昌国という二人だった。

ニューヨークに留学中の二人が、フロリダで農業移民として日本人を求めていることを知り、それぞれの郷里である京都の宮津、大分などで入植を呼びかけたのである。この当時ニューヨークに留学していたくらいだから、さぞこの二人はそれなりの家柄や経歴の持ち主だと想像されるが、事実 ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立-その3

その2>>

100年後のフロリダと宮津をつないだ酒井襄とは?

以上が、ヤマトコロニーと森上氏の歴史であるが、おさらいしてみればわかるように、最終的にこの「モリカミ」が誕生したその発端は、森上氏との直接の関係で言えば酒井襄氏である。記録によれば、彼は1874(明治7)年生まれで95年に同志社を出て、同志社の創始者である新島襄を見習ってアメリカへ渡ったという。名前の襄も、新島襄に倣ったらしい。50歳前にアメリカで亡くなっている。

「モリカミ」がまとめたヤマトコロニーの資料によれば、酒井家は宮津藩に使えた侍の家系だったという。ニューヨークに留学していたくらいだから、さぞ立派な家柄か優秀な人物で、故郷の宮津では知られているのだろうと思い彼の足跡も調べてみた。

しかし、これが不思議なことに ...

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