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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第33回 自分の墓は自分できめる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。体の不調や痛みなどを訴えることが多くなった助次だが、日本に種子を注文するなど、畑仕事は断続的につづけている。一時は、なにも読む気力がないといっていたのが、読書欲がでたのか日本に本や雑誌を注文している。例年と違い1972年の誕生日には、だれも祝いに来てくれなかったという。

* * * * *

〈ちょっとした事でもすぐ息切れして〉

1972年11月13日

玲さん、私は退屈で困って居る。左記の雑誌や本を至急送ってくれ。

「陽気」 毎月
「中心」 毎月
「恍惚の人」有吉佐和子著 一部
「巨人出口王仁三郎」 出口京太郎著 一部
「農業世界」   一部
「園芸日本」   一部

普通便パーセルポストで送ってくれ。

日本の黒松(盆栽用)種子一斤、新鮮なものでタキイに頼んでくれ。これも航空便で。

玲さん、気分は如何だ。うるさい世の中、下らぬ事に気を使わぬ事だ。私は相変わらず何も出来ぬ。一寸した事でもすぐ息切れして困る。去る5日(誕生日)は忘れがたい日だった。サンデーなので隣の人達は皆、朝から釣りなどに出かかけた。追想に耽って寝転んでいるより外なかった。

何時もなら近くの親友たちが集まって祝ってくれるのだが、ここ一年ほどの間、みんな死んだり病んだりして、誰一人来なかった。秋になった為か、食欲が恢復した。物価は相変わらず高い。幸い野菜や果物はほとんど手取りなので大助かり。言いたい事はうんとあるが、持ち前の毒舌がたてられぬので止めることにする。

あんたも食いしん坊。注意してくれ。

日本の航空便箋、数枚送る。古いのが30セント程。不足税、貼るのを忘れぬよう。

近くで支那人が野菜作りを始めた。支那料理向けらしい。


〈黒松の種子をたのむ〉

1972年12月26日

玲子さん、やっと種子のパフレットが来たから送る。タキイへ黒松の種子一斤、新鮮なのを航空便で直ぐ送るよう注文してくれ。代金はクリスマスの翌日送る。私の健康は相変わらずだ。何も出来ぬ。じっとして居る。連日のさみだれで陰気だ。夜はかなり冷えている。ヒーターだ。送ってほしい残りの雑誌の発行所は次の通り。

「園芸日本」 東京・新宿区   博友会
「農業世界」 東京・新宿区   博友社

店になかったら農業会に聞いてくれ。

先日、思いかけない人が訪ねて来た。一人はマイアミの村島さん、一人はワシントンの吉津さんだ。両人とも十年ぶりで家族連れだ。新聞で私の記事を見たとの事。双方からたくさん日本食を土産に貰った。半分以上は聞いた事も味わった事もない珍しい物。盆と正月が一緒に来たようだ。正月から毎日少しずつ賞味している。

村島さんはハワイ生まれだが、日本育ち、女学校、大学を出て書道は三段という女丈夫だが、日本風な優しい人だ。息子さんと共同で東洋諸国の食料品を輸入、小売、卸売りを盛大にやっていられる。

吉津さんは政府で働いていられる。私が記事以上にみじめな暮らしをしているので驚いていたようだ。去る6日はアリスの一周忌だった。夫君のウイリアムと墓に詣でた。私は小さな石碑の下に眠る彼女を思い出して涙ぐんだ。ウイリアムも泣いていた。バラの花を供え石碑をなでて名を呼んだ。

助次が墓参りをしたいと願っていた、古郷・宮津にある森山家の墓(智源寺)

デッドリック家の墓はほとんど埋まって、二人分だけ残っている。ひとつにはウイリアムの分で、一つが私のだ。政平エ(弟)が生前、立派な森上家の墓を宮津の智源寺に建てた。先祖代々の名前が彫ってあり、私の名は如何するかと聞いて来た。私は孤独浮草な老人だ。こちらの墓地は決めてある。

先の事は解からぬ。鳥も通わぬ絶海の孤島、千古不伐のジャングル……死んだような墓場だ。名なんかとてもない。

喜代さんから久し振りに手紙と広報「みやづ」数ヵ月分を送って来た。元気で忙しく暮らしているとの事だ。上宮津今宿の上……普甲峠……一面杉で覆われた広大な山腹がある。私は子供の頃からこの山をすべて切り開いて○○を植え付けたら、宮津百年の財源になると思っていた。終戦直後、政平エに相談したが、返事もなかった。

郷土を思い出す毎にこの山を思い出す。二年ばかり前、この山の地図を送ってくれるようにお母さんに頼んだが来なかった。今後喜代さんからの手紙を機会に市の当局者へ直接あたって貰えるよう依頼した。私はもう何の欲得もないが、全快して百までも生きたら、ひと働きしたいと思う。

円盤は今なお、飛び交ふ。どこかに開けた世界があるに違いない。何時か見付ける。私は……を知りたいのだ。

今日は好天気だが、冷たい。今、正午近くだが、北風がビュービュー吹いている。私は寒さに弱く、冬になると矢張り暑い夏の方がよいと思う。昨年の今頃は桃の花盛りだったが、今年、蕾ひとつ見えぬ。

私は喰うにも困らぬしケチでもない。ただぜいたくする気になれぬので損な性分だが、仕方がない。出来ればもっと原始的な生活をしたいと思う。新年おめでとう。皆さんへよろしく。さようなら。


〈人が多くなる。逃げなくては〉

1973年2月7日

玲さん、お手紙と新聞切り抜き有り難う。現代農業と農業及園芸各一部送ってほしい。私は、腰かけるか、寝転んで居れば何の苦痛もないが、立った一瞬足腰がしびれる。歩行十歩か十五歩も不自由で、それ以上は腰を下ろして休むより外ない。カーもトラックもドライブは出来るが、上り下りが困難だ。

手は自由で座ってなら何でもできるが今の医学では医者も薬も無効だ。昔の肺病のように成り行きにまかせるより外ない。ハラデー(holiday)は英語の辞書では「休み」とか「祭日」との事だ。日本では何と言っている。多分ホリデーだろう。

ファッションブックが見付かった。新聞でかなり大冊だ。頼んでおいた。友人の一人がタウンへ行けば今日、送る。VOUGE(ファッション誌)は見つかり次第送る。レコードは難問題だ。何千何万とあるレコード原名不明では探しようがない。

幹男から天理市の写真帖が来た。こんな美しいところでゆっくり静養したら、私の病気も治るかも知れぬ。杉山植林について宮津市庁からは返事がなかった。お母さんに頼んでしてもらった直接の問い合わせにも全然無関心だ。私一生の思い出、郷土百年の計も夢と化した。時世は変わった。僅かな寄付でも鄭重な感謝状をよこし新聞にも載せた。必要とあれば、私の財産の大半を投じてもよいとさえ思っていた。目先きばかりでその先は見えぬ。老いぼれの寝言位に思っているらしい。

何年待っても生まれ故郷程恋しい物はない。あんた達にも一度逢いたい。墓参もしたい。植えておいた木も見たい。これが私の夢だ。私は老いたが、気分は若い。希望に満ちている。仕事は多い。この病気にうち勝たねばならぬ。私は自然に生きてきた。

住宅はどしどし建つ。移住者は洪水のようにやって来る。どこかに逃げねばならぬ。北はカナダ、アラスカだが寒い。到底住めぬ。熱帯の南米はどうか。

世界最後のフロンティア、アマゾンのジャングルより外ない。未開の原住民の住家である。目下大陸横断貫通道路の建設中である。世界一の大河、赤道直下数千哩である。私は記事で読み地図を眺めながら血湧き肉躍るのを禁じ得ない。今は病む身を治すしかない。今朝はかなり冷えるから午後は暖かとのことだ。腹が空いた。何を食べるか。貰ったスモーク……か。バナナもミルクもある。今日はこれだけだ。さようなら。

こちらの杏は成長が早い。30年位で一抱え以上となる。最近新種が発表された。成長が2倍以上よいとのことだ。

(敬称略)

続く >>

 

© 2020 Ryusuke Kawai

farmer florida issei Sukeji Morikami yamato colony

Sobre esta serie

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。