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「アメリカの映画に出演したい」 幼少時の夢を叶えた日本の女優、田村英里子さん

ドラマ撮影の合間に語学留学

1990年代、日本の芸能界でアイドル歌手、また女優として活躍していた田村英里子さん。彼女は2000年に渡米し、数々のオーディションを受けた後に20世紀フォックス製作の「ドラゴンボール・エボリューション」や人気ドラマ「ヒーローズ」の主要キャストの座を獲得した。今もロサンゼルス市内で暮らす田村さんに話を聞く機会があった。

幼少期を父親の赴任先だったドイツで過ごし、帰国子女である田村さんが目指した場所が、なぜアメリカだったのかを最初に聞くと次のように答えた。「小学校6年生の時にドイツの映画館で『ET』という映画を初めて見たとき、ワクワクして、胸が騒いだことを今でも覚えています」

しかし、アメリカと自らの夢がつながるのはまだ先の話。少女時代の田村さんの最初の夢は、日本でアイドル歌手になることだった。小学生の頃にドイツで定期購読していた日本の雑誌を眺めては、歌手になりたいと自分の将来に思いを馳せていたと言う。

日本に帰国した翌年、14歳の時に受けたオーディションで優勝する。レコード会社や事務所にスカウトを受けて、芸能生活がスタートした。1989年に「花の降る午後」で映画デビュー。同年、連続ドラマにもレギュラー出演しながら、歌手として数々の新人賞を受賞した。歌手、女優として瞬く間に人気者になり、寝る時間もなく働いていたそんな時、1996年に転機が訪れた。

「NHKの大河ドラマ『秀吉』に、細川ガラシャの役を演じる機会をいただいた時のことです。細川たま(後の細川ガラシャ)の子供時代を、最終的に子役の方が演じることになり、撮影のために開けていたスケジュールが、突如一ヶ月近く空いたんです。そこで、いつか挑戦したいと思っていた語学留学を決行しました。なぜサンタモニカ?それは、以前にレコーディングでロサンゼルスに滞在していた際一緒に来ていたマネジャーが、『英里子、サンタモニカがいいんじゃない? 安全だし』と、探してくれたからです。ホームステイ先も当時のマネージャーが手配してくれました。私自身は正直、サンタモニカがどこにあるのかわかっていませんでした。スケジュールに沿って飛行機に乗り、ホームステイ先に到着し、翌日から学校に通い始めました。毎日ひたすらに英語の勉強をして、1カ月が過ぎたときには、大河の撮影のために日本へ戻っていました」
 

言葉の壁、人種の壁

田村英里子さんの著書「ハリウッド・ドリーム」(発行・文藝春秋) 

その後、田村さんは2000年にロサンゼルスに一人やってきた。今度は、ゼロからのスタートだった。クレジットヒストリーがないため、アパートメントを借りることもままならず、最初はルームメイトとして部屋を借りるところからのスタートだった。「世界中からやってくる移民の皆さんと同じく、たった一人の外国人としてアメリカ生活を始めました」

そして、その時の思いはひとつ。「アメリカの映画に出演したい」。子供の頃にドイツで思っていた「日本に帰ったら歌手になりたい」と同じような、漠然とした夢だった。

しかし、言葉の壁があり、更に日本では経験したことのなかった人種の壁を経験した。「私がアメリカへ来た当初はまだ、アジア人への役がほとんどなく、ことさらエンタテインメントの業界では、マイノリティの枠が極端に少ない時代でした。アジア人であることですでにとても小さい枠が、英語が母国語ではないということで、さらに狭まりました。今では、アジア人がエンタテインメント・インダストリー(映画業界)に占める割合が確実に増えています。時代は確実に良い方向へ行っているんだと実感します」

その頃は、演劇のクラスに行けば、実力があるにもかかわらず、表舞台に立つことのないアクターたちに多く出会い、実力の壁を思い知ったと振り返る。「才能に溢れた人々を目にするたびに、果たして自分がここにいる意味はあるのだろうかと自問自答しました」

選ばれたことは奇跡

20世紀フォックス「ドラゴンボール・エボリューション」プレス・ジャンケット前。ビバリーヒルズ・フォーシーズンズホテルにて

それでも、田村さんはハリウッドのドアを叩き続けた。ドアは開くことはなかった。そんなほとんど諦めかけていた頃に、2007年、「ドラゴンボール・エボリューション」のオーディションで最後まで勝ち抜き、数カ月後にはエージェントを通してオファーを受け取った。何が決め手になったのかと聞くと、彼女はあっさりと「運ですね」と答えた。「私自身はもちろん、当然のことながら本当に全てを尽くして努力していました。あの時自分にある全ての時間とエネルギーを捧げていましたが、それでも手にできずにいる人たちを見ていたから、私が選ばれたことは本当に奇跡、運だと思うのです」

しかし、その時も自分が活動する場所が「ハリウッド」だということをほとんど認識していなかったと言う。「アメリカのテレビや映画に出演して、日本のニュースに『田村英里子ハリウッド映画に進出』など書いてあるのを目にして、そうか、私はハリウッド映画に出ているのかと気付かされました」。田村さんにとって「ハリウッド」とは決して大上段に掲げるものではなく、自分の目の前にある目標をクリアした結果、気づけば身を置いていた場所ということなのかもしれない。

20世紀フォックス「ドラゴンボール・エボリューション」
メキシコに建てられたセットにて

そして2011年、故郷の茨城県は大震災の被災地となった。海外赴任を終えて茨城で生活していた両親をカリフォルニアに呼び寄せ、田村さんはハリウッドとは離れたオレンジ郡の海辺での生活をスタートした。両親と共に過ごしたいと希望していたが、やはり親にとっては日本こそが住み慣れた土地、自分の生まれ育った土地を離れたくないと言われた。

「私自身も、日本を離れて、日本の素晴らしさを改めて感じています。相手を思いやる気持ち、敬う気持ち、日本にいた時には当たり前のように思っていたことが、それは日本人だからこそなんだとわかります。アメリカへ来て本当によかったと思うのは、改めて、子供の頃にお世話になった方たちへの感謝の気持を感じられたことなんです。同時に、若い頃にお世話になった方々が他界されることが最近増えて、その時に日本にいない自分にもどかしさを覚えたりもします。現在は英語の毎日ですが、いつかは日本でも英語を生かせる仕事ができたらいいなと思っています」

10代でアイドル歌手になる夢を叶え、その後アメリカのメジャー作品に出演するという夢も叶えてきた田村さんだが、アグレッシブな雰囲気は全く感じられない。姿勢はしなやかでその語り口は穏やかだ。女優としての喜びは何かという問いには「周囲のスタッフが喜んでくれること。監督の期待に応えることができたと感じられた時はホッとします」と答えた。その期待に応える、次なる場所はアメリカか、それとも日本だろうか。

 

© 2017 Keiko Fukuda

actress entertainment Eriko Tamura Shin-Issei