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南加大分県人会: 小規模組織の奮闘と100周年の成功

会場となったガーデナ仏教会のソーシャルホール。壁には「おんせん県大分」のポスターを掲示してPR (写真:ヒロキ・ヤマグチ)

ロサンゼルスに渡ってきたのは1992年のことだった。当地にも県人会が存在することを知り、出身地の大分県人会にも多少関わりを持ったが、10年ほど前からは足が遠のいていた。

2016年秋、大分県の特産品をアメリカ市場に売り込むためにロサンゼルスを訪れた県一行と、南加大分県人会との交流会に参加する機会があった。ロサンゼルス生まれの長男が「日本での進学」を希望し、その年の初めから大分市の私の実家に移り住んだこともその会に顔を出したいと思った動機だった。そして、その交流会を私は心から楽しんだ。

その直後、現会長の會田裕二さん(以下、会長)から声がかかった。2017年に100周年を迎える県人会のイベントの実行委員への指名だった。他の顔ぶれは、不動産エージェントのトーマス・アコさん、引退生活を送る山澤まりこさん、渡米前は大分市で学校を経営していた釘宮史子さん、開教使夫人の庵原えりさん(後に原澤マイクさんも加わった)。その時点での会員数は40人。その多くがイベントに参加してくれることは期待できない。さて、どのような規模でどのように祝うべきか。

最初、会長の考えは記念品を作って会員同士での食事会を催すというものだった。しかし、そこで大分からニューヨークを経由してロサンゼルスに移って来たばかりの史子さんが異を唱えた。「ニューヨークでの、大分と熊本の地震のためのチャリティーイベントは盛況だった。100周年も盛大に祝うべき」と。

フットワークと決断力

私は、大所帯であり、活発な活動で知られる沖縄県人会を取材することが多い。しかし、何度も沖縄県人会に行って見えてきたのは、運営に携わるコアなメンバーは数人に過ぎないということだ。多数の会員を相手に数人が膨大な時間を費やし、機動力を駆使して活動に従事している。大分県人会は会員数こそ少ないが、実行委員の顔ぶれを見る限り、全員がフットワークと決断力に恵まれている。自画自賛は承知の上である。よし、きっと私たちならイベントを成功させることができる、と思えてきた。何をするかも決まらないうちに。

會田会長(左)と「ふるさと」を披露したオペラ歌手のトム・ムーニーさん (写真:ヒロキ・ヤマグチ)

その後の会長の動きは早かった(後に「あの時に覚悟を決めた」と振り返った)。2016年12月に初回ミーティングを開催し、会場をえりさんの夫が開教使を務めるガーデナ仏教会に決めた。最初は近隣のホテルも候補に挙がった。しかし、最も融通がきくのが、いわば身内がいる仏教会ということになった。それは結果的に大正解だった。

プログラムは祝辞、史子さんの夫で歌手のトム・ムーニーさんのオペラ、元会長の後藤博行さんのコーラスグループの歌唱、えりさんのお父様の大分の方言に関する講演、小倉太鼓の演奏、そして抽選会。景品は、かつて引越し会社でやり手の営業ウーマンだったまりこさんが元クライアントをから精力的に集めてきた。広いネットワークを持つ会長も全日空のロサンゼルス東京間の往復航空券を始め、ほぼ全員に行き渡るだけの景品を次々に集めた。

県人会の100周年では記念冊子を印刷するのが定石だ。冊子の中には会員の関係企業による広告が出稿される。その広告収入をイベントの運営費用に回すのだ。しかし、私たち大分県人会には冊子を編集したり、広告の営業をしたりする人手がない。そこで現実的に4ページのプログラムをカラーで作成することにした。デザインはプロフェッショナルに依頼した。フリーの編集者でもある私がいつも一緒に組んでいるデザイナーのりつこ・リンチさんだ。彼女の両親も大分県の出身。りつこさんのアイデアで豊後梅をあしらったプログラムの表紙には、スポンサーとして16企業、2自治体のロゴマークが並んだ。

弁当は長らく日本食レストランとして人気を博している古都に発注した。オーナーシェフの松木さんは寿司職人としての経験40数年、築地玉寿司の銀座店の店長も務めた人だ。その本格的な味は参加者に大好評だっただけでなく、「弁当担当」の私は松木さんとやり取りしながら、料理人としての謙虚な姿勢に心打たれた。

当事者意識と熱意

100周年のイベントは2017年9月30日。会長の声がけと活躍により出席者数は80人となった。大分県人会の会員をはじめ、南カリフォルニアの他の県人会会長、日本からも大分県の安東隆副知事、大分市の佐藤樹一郎市長、発足したばかりの大分日米協会の会長で大分商工会議所会頭の姫野清高さんを含む14人が参加。しかも、準備を始めた1年前は大分県人会の会員数は40だったのが、100周年イベントの時点では52人と12人も増えていた。

大分県の安東副知事。県からは特産品の椎茸や竹製のペン、おんせん県の手ぬぐいなどが参加者の人数分寄付された(写真:ヒロキ・ヤマグチ)

イベントは和やかに進行した。大分県の企業である、三和酒類のいいちこ、そして八鹿酒造の銀座のすずめをバーで楽しむ人々の姿も見られた。1年間かけて準備した100周年は、こうして各地から集まった参加者の笑顔と共に幕を下ろした。

新規会員となった大分県別府市の立命館アジア太平洋大学の卒業生、河分奈々子さんは「初めての参加で恐縮したが、皆が温かく迎えてくれて楽しく有意義な時間だった。今後もイベントに参加し、少しでも貢献していきたい」と語った。また、東京から参加した大分県人会インターナショナル代表の薬師寺忠幸さんは「会長の會田氏はじめ運営メンバーの方々には、有志の団体でありながら、本家の大分県や大分市からゲストを迎え、素晴らしい式典を催されたことに敬意を表したい。これからは大分出身者に限らず、行ったことがある人や好きな人も含めて、広く会員を募集する時代かもしれない」とのコメントを寄せた。

最後に100周年を終えた会長は課題について「動ける人に会員になってもらうこと。少なくても親密な会であればその方が小回りがきいて良いと思う。できる限り、何らかの関心とサポートができるメンバーを集めていくことこそが県人会の存続には必要であると痛感している」と述べた。それは私も同じ気持ちだ。県人会の存続に必要なのは「当事者意識と熱意を持って取り組める会員」だ。それを南加大分県人会は100周年の節目に証明することができたと、実行委員の一人として自負している。

 

© 2017 Keiko Fukuda

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